内容説明
絶望とは、人間の精神のみがかかる「死にいたる病」である。キリスト教界の欺瞞を批判しつつ、無限なる神との関係における有限なる自己(単独者)をめぐって、絶望と罪の諸形態を徹底分析し、考え抜く―精神の教化と覚醒のために。自己疎外におちいった現代人の魂の、その核心への肉薄が、いまなお鮮烈に私たちをとらえてはなさない。キルケゴール晩年の思索を、デンマーク語原典から訳出し、詳細をきわめる訳注を付す。
目次
第1編 死にいたる病とは絶望のことである
第2編 絶望は罪である
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妙な…本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ω
51
ほいほいω 半分以上分かりませんでしたよ★ 唯一分かったのは、「私はなるほど絶望していたのだなァ!」ということ笑 現実の自分があるべき自分に追いつけない絶望、この死んでも死にきれない苦悩こそが死にいたる病です。 本当の自分であろうとする自分から目をそらしているのが絶望のはじまりはじまり……2023/12/22
zirou1984
49
再読。相変わらず論旨を追うのは困難だが、個々の文はそれが自分の必要とするものであることはよくわかる。人は意識するかしないかに関わらず、絶望している。君は君の絶望に少しも気づいていない状態で絶望しているのでは?自分自身の罪に気付かないまま罪を背負った振りをしていないか?自己への絶えざる問いは必然的に社会との関係性から外れた単独者であることを要請する。それは神の手を借りて成しうるものだが、時代の威を借りて踏み潰そうとする群衆的心理に対する何よりの抵抗手段だ。だからこそ自分はこの思想を肯定する。全力で肯定する。2015/07/28
chanvesa
30
絶望を突き詰めることで「罪がますます自己自身のなかに深まってゆく、かくして神から遠ざかってゆくにもかかわらず、しかも別の意味ではだんだんと神に近づき、いよいよ決定的に自己自身となる(231頁)」というアクロバティックなヘーゲル弁証法。「単独者」(222頁~)は、本来の人間における「関係の関係」とは相反するが、弁証法的に「完全さであることをも、意味」(224頁)することはニーチェの「超人」を思わせる。「可能性をもたない自己は絶望しているのであり、また必然性をもたない自己も同様に絶望しているのである。」69頁2015/05/24
マウリツィウス
19
【DØDEN/「死」の病】新約聖書諸言語を再構成したデンマーク語によるキルケゴール肖像はキリスト教空間を投影した不朽大著を束ねる古言行録=古代キリスト教会の保存した宗教図像学世界=マンダラ的カタコンベ図をプロテスタント可能性呈示論から除去していく。古典主義的と定義された聖書観が古典ギリシャ文学からの誤謬であった認識を刷新した成果こそが新教的であり疑似古典とは聖像ではなく偶像、この客観的知見を採択する旧約系根幹をカトリック/プロテスタント双基準から講じた統合視点からのキリスト教実体化は否カバラ的記号論出現。2013/05/29
兵士O
15
ウチの親父はキルケゴールが大好きです。若い時、作家まがいのことをしていたのですが、俺の書いていることは全部彼が言っていたことだと話していました。僕も若い時挑戦して何を言っているのかさっぱり分からなかったので、ガイド本片手にちょっと読んでみました。まず思ったのが「絶望」を知らない一般ピープルと違ってボクは神と真摯に向き合っている単独者なんだよ、という選民思想と、ボクの主観的な信仰こそが大事で、教会の他人行儀な教えなど糞食らえだ、という強い思い込みでした。汗水たらして働いている人々と違う人種なのかな?アホや!2022/04/10