内容説明
「体系」的思考に対して異端をなす、「エッセイ」の思想の根幹―それは、手仕事的な細部へのまなざしである。そこはまた、私たちの「経験」の息づく場所でもあるのだが、もし批判的感性がそのような細部に感応するなら、それは同時に、対象の内部に忘却されたままの、全体性と無限性を予感させるものとなるだろう。そのとき、このエッセイそのものが自身の時代の感覚器官となっていることに、われわれは気づかされる。中断と飛躍を含んだ思考のリズム、巧みに布置された理念やイメージの群れ―。哲学的考察も、これらを恐れはしないのだ。エッセイという形式を、みずからのものとして生きたベンヤミンの、新編・新訳のアンソロジー、第二集。
目次
蔵書の荷解きをする
子供の本を覗く
昔のおもちゃ
人形礼讃
模倣の能力について
ドストエフスキーの『白痴』
アンドレ・ジッド『狭き門』〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
翔亀
36
所収の「ゲーテ」(70p)のみ読了。ゲーテが植物形態学の始祖と知り俄かに興味を抱き、手持ちの書物の中でたまたまこの評伝を見つけた。大ソビエト百科事典(66巻のソ連最大の事典らしい/1928年)のために書かれたもの。ゲーテと言えば晩年の「ファウスト」ぐらいしか知らなかったが、「若きウェルテル」のあと政治家/官僚となり、地学・色彩学・動物学など自然科学研究に熱中後、「ファウスト」を生んだことを改めて知る。ベンヤミンによれば、ゲーテの自然科学は政治問題による創作からの逃避だとするが、植物学上の発見だけは画期↓2020/09/08
chanvesa
22
「経験と貧困」の、諦念や絶望を拒否する姿勢は何だろうか。人類史的な意味での「経験」を喪失したとして終わりの始まりの深淵を覗き込む藤田省三には、大衆社会論が念頭にある気がする。しかしベンヤミンには大衆批判を越えた何かがあるように思える。「個的存在〔としての人間〕(384p)」は大衆と分化され、「人類」と等置されている。ひ弱な都会性に類する「文化を越えて生き存えてゆく用意をしている」。しかも「野蛮に響く」ような「笑い」を湛えて。この強さは大戦を経て経験を喪失したことによる強さなんだろうか?2016/05/04
A.T
18
まるまる一ヶ月かかってしまった。自分の生きる時代とベンヤミンのとほぼ100年の隔たりが近ずいたり遠のいたり。ベンヤミンが生きていた時代、何処此処も人が死ぬ場所であったこと。または、犯罪をドラマにした筆頭にドストエフスキーが挙げられたり※「罪と罰」。思ってもない方向からのパンチが飛んでくるから、ボヤッと読み飛ばしができないエッセイ集。2018/08/04
三柴ゆよし
11
「物語作者」「長篇小説の危機」「プルーストのイメージについて」は自分の中で非常に重要な意味を持つ文章だった。何度も読み返すと思う。2019/11/29
ラウリスタ~
10
2巻の段階では、3巻本のエッセンス集になる予定だったみたいだ、結局全集みたいになったけど。蔵書、ドイツ文学、フランス文学、が主に語られるが、ドイツ文学に関わるエッセイは飛ばした。翻訳者としてのベンヤミンが語るプルーストは面白い。校正刷が返ってきたら、誤植は一つも訂正されず余白全てに加筆されていたとかいう印刷所泣かせのエピソード。自分の家を教えるのにどうでもいい細部だけ長々と説明して、番地だけはいい落とすというファインプレー。2016/04/25