内容説明
「わたし」の意識はわたしが知らずにいる無意識によって規定されている。「意識」には「無意識」を、「理性」には「リビドー」を対置して、デカルト以来のヨーロッパ近代合理主義に疑問符をつきつけたフロイト。「自我」(「わたし」)を「意識」「前意識」「無意識」という構造として理解しようとした初期の論文から、それを巨大な「エス」の一部ととらえつつ「超自我」の概念を採用した後期の論文まで、フロイト「自我論」の思想的変遷を跡づけた。「欲動とその運命」「抑圧」「子供が叩かれる」『快感原則の彼岸』『自我とエス』「マゾヒズムの経済論的問題」「否定」「マジック・メモについてのノート」の8編を、新訳でおくる。
目次
欲動とその運命
抑圧
子供が叩かれる
快感原則の彼岸
自我とエス
マゾヒズムの経済論的問題
否定
マジック・メモについてのノート
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きゃんたか
13
エスとは無道徳な無意識の欲動。エディプスコンプレックスによる去勢が良心としての超自我を生み出し、罪責感を受けた自我は超自我との同一化を強いられる。かくして自我は外界、エス、超自我の脅威に囲まれ神経症的不安に陥ることとなる。無限に自我を責め苛む超自我からの解放とは、自我の昇華による脱性化。欲動の解離。良心の強化。代償形成。現実問題、涅槃原則としての死の欲動(タナトス)は快感原則としての生の欲動(エロス)と混在している。闘争と妥協。その果てに?2016/03/24
Z
12
経路、判断機能(先の属性判断と存在判断)の主体たる自我、記憶装置の3つで成り立つ。さてフロイトは欲動なる概念を導入していた。それは身体または器官からの刺激であり食欲なり性欲がある。欲動は様々な源泉があるが大きく自我欲動(自己保存欲動)と性欲動に分けられる。口は食べ物を食べる器官だが、キスなど愛情表現をする器官でもある。快楽原則はこれからの刺激を解消しようとする無意識の傾向のことである。欲動は自己内部からの刺激であり、外界からの刺激との差異は内部と外界の区別をもたらす。性欲動に関してはある程度自分で満足でき2018/03/04
記憶喪失した男
12
有名な「快楽原則の彼岸」はさして面白いとは思わず。2016/06/11
てれまこし
11
「私は健康でありたいけど煙草吸いたい」「私はあの人が嫌いだけど好きになりたい」こう言うとき同じ一つの「私」が矛盾しているのか、それとも複数の「私」があるのか。哲学においても現実生活においても自己同一性が前提とされてきたから矛盾であるというのが答えであった。フロイトも当初は意識としての自我と無意識の対立関係で考えた。しかしこの自我自体に無意識のものがある。つきつめていくと自我自体が外の世界と身体的な欲動の両側から差し込まれた境界領域である。自己同一の意識がこの領域で何とか確保された不安定な堡塁でしかない。2020/08/26
ラウリスタ~
10
フロイトってそういえばちゃんと読んでないなと思い、しかも自我についての論文を集めてあるようだったので読んだ。普通に面白い。なんだか一冊本を読んだ後には、そこで得たものとそれまでに既に持っていたものとの区別がつきにくくなる。ヒステリーのような神経症が19世紀末には多方面の関心を引くのだが、フロイトはそれに対する医者としての仮説を建てる。意識、無意識と簡単に二分されているわけではなく、自我、エス、抑圧されたもの、の関係図が重要なようだ。細胞分裂の話良い。細胞は「自分の」排泄物によって死ぬ。2013/10/05
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