内容説明
マルクス主義と資本主義擁護論の両者に共通する生産中心主義の理論を批判し、すべてがシミュレーションと化した現代システムの像を鮮やかに提示した上で、〈死の象徴交換〉による、その内部からの〈反乱〉を説く、仏ポストモダン思想家の代表作。
目次
第1部 生産の終焉
第2部 シミュラークルの領域
第3部 モード、またはコードの夢幻劇
第4部 肉体、または記号の屍体置場
第5部 経済学と死
第6部 神の名の根絶
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
134
労働に見合う賃金という等価交換はもはや意味を失い、全てが記号として浮游しながら再生産と消費をくり返している。なるほど私の周りでもAIが仕事を創り労働や余暇が消費される。我々は目的のないコード(例えば遺伝子のような)に支配されているのだ。現代における価値はモノや人より構造にあり、著者はそれをシミュレーションと呼ぶ。後半は、権力による死の独占の話。可逆的であるはずの象徴交換(原初的な贈与=交換)が失われ、人は緩慢な死を生かされていると。フェティッシュ化された「男根」や「死」を一般的等価物と見る論旨は刺激的だ。2020/02/29
白義
15
外部なき透明なシステム社会を描くボードリヤールが、ではそのシステム社会がなぜ生まれ、何を具体的な原理としているのか、という本丸に挑んだ代表作。乱暴に言えば、全てがシミュレーションと化し実体が掻き消えた現代社会とは「死の飼い慣らし」によって生まれたということで、かつて未開社会では死とは畏怖すべき何かとして象徴的な文化体系のもとに位置づけられ世界に実体を与えていたが、現代ではそのような死は排除され、全てが記号の戯れのような幻影となったというもの。マルクス的な世界観を徹底的に批判しているのが時代を考えると面白い2017/07/28
またの名
11
淫らな微笑で誘惑してくる資本の広告とか女性の裸体や衣服や衣服の裂け目がすべて男根と去勢の代理物とか話し、アンチ精神分析の人ほど男根強迫観念に陥る謎。社会は実在を無視して記号が交換し合う段階に入り、現実の生産から遊離した貨幣とシニフィエから解離したシニフィアンが記号として無限に増殖し、死や無意識というリアルな下部構造も失効したと診断。有用無用や美醜や善悪の規範を超えた軽薄な不道徳性により万人を次々押し流すモードの加速を傍観し、フロイト的抑圧の終焉さえ予言するが、本書こそが経済や性の現実界を抑圧していないか。2021/12/30
左手爆弾
5
本書が難しいと感じる人は、後半まで真剣に読み通すからそう思うのだろう。主張自体は最初の100ページくらいで出尽くしている。兎にも角にも、「生産」が終わってしまった。新しいものを作りだし、それによって社会の構造を変えていく、という意味での生産が終わってしまった。だから、もはやあるのは、物ではなくて、象徴・記号の交換だけである。それに対抗しようとするストライキや革命も、現実ではなくて象徴に還元されてしまう。可能性があるとすれば、戦略的に構築された肉体と死だけだ。で、9.11が起きた、と。2017/11/03
Lieu
3
労働、ファッション、精神分析、芸術、死‥‥など、一つの書物では広すぎるテーマである。個人的には、第五部の六章の、現代人は、死者を死者らしくするのではなく、死を生の模造品にするのだ、という議論を興味深く読んだ。2019/09/26