出版社内容情報
日本語と文の構造ばかりか、表現方法、つまりものの感じ方までもが共通する言語が世界には多く存在する! 世界の見え方が変わる、ウラル・アルタイ言語学入門。
内容説明
朝鮮語なり、トルコ語なり、モンゴル語なり、そんな言語をやってみれば、それらの言語が似ていることに気づく。外国語はみな英語のような言語だと思っている日本人の言語観を、この経験が変えてしまうであろう。
目次
第一章 ウラル・アルタイ説の出現とその道のり
第二章 言語の同系性を明らかにする方法
第三章 言語類計論
第四章 日本におけるアルタイ語類計論の需要の歴史
第五章 ツラン主義の誕生
著者等紹介
田中克彦[タナカカツヒコ]
1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語科、一橋大学大学院社会学研究科、ボン大学哲学部にて、モンゴル語、言語学、民族学、文献学を学ぶ。現在、一橋大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kokada_jnet
72
お歳のせいか混乱している様子。「日本語の純粋性を漢字が毒している」が、この先生の、十八番話だったが、本書は言及がなし。チョムスキーについてももずっと批判していた筈だが、この本では部分的に認めている。メインである「ウラル・アルタイ語」については、言語学史のお勉強的な感じで、田中克彦本人がどう思っているかは、よくわからない。終わりのほうで、唐突に大野晋批判がはじまる。多分野の専門家から情報を吸収して日本語起源論を考察した俊才が。怪しげな「南インド起原説」などと主張するようになり、ダメな学者になったとのこと。2021/11/20
へくとぱすかる
62
ことばの世界はロマンチックなだけではなかった。そこは国家や民族の争いに、激しくつき動かされていた。権力のもとで、言語が絶滅の危機にさらされるのは、この今の時代になっても続いている。ときには言語学者が、ことばを守るために意外な役目を果たすこともあるという。こうなると、たとえば日本語の起源をめぐる論の対立など、コップの中の嵐かもしれない、とさえ思える。戦後まもなくフランス語を日本の言葉にしようという意見があったというが、ことばの価値を、日本はまるで大切に思わなかった風潮がよくわかる。考えさせられる本である。2021/05/23
榊原 香織
51
この方の著作は面白い(やや過激) ウラル・アルタイ系の言語は日本語と構造が似てる。似た語同士で連帯を、というツラン主義が戦前の軍部となぜか絡んでしまい、微妙。2023/02/16
活字の旅遊人
35
『ことばと国家』から40年。それをもじったようなタイトルで80代になられた田中克彦先生が世に問う書。第四章「日本におけるアルタイ語類型論の受容の歴史」まで進むと、かなりマニアックというか、日本の言語学界における論争を、生き残った田中先生が解説してしまうという雰囲気。そのあたりを我慢して読み進めれば、現代「国家」群では負け組的なウラル・アルタイ語族への強い愛情を感じることになる。ひとまず僕も手付かずなトルコ語あたりをかじってみたくなった。残念なのは、ウラル・アルタイ間では、文字の互換に乏しいことか。2021/04/30
松本直哉
32
音韻法則から幻の印欧祖語を措定する仮説はロマンティックだが危うさをはらみ、ナチのアーリア人優生説の論拠の一つともなった。唯一の祖語を仮定すること自体無理があり、著者の言うように、系統の異なる言語同士が触れ合い影響しあうと考える方が実情に合っているのだろう(バルカン半島の諸語の例が示唆的)。欧州では仲間外れのフィンランドやハンガリーの言語から説き起こし、テュルク系ツングース系モンゴル系をへて日本朝鮮に至るまで、ユーラシアを広く覆うツランの言語同盟をめぐって、音韻法則ではなく言語類型論からのアプローチが新鮮 2021/08/28
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