ちくま新書<br> 日本人の身体

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ちくま新書
日本人の身体

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  • サイズ 新書判/ページ数 254p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480067944
  • NDC分類 114.2
  • Cコード C0212

出版社内容情報

本来おおざっぱで曖昧であったがゆえに、他人や自然と共鳴できていた日本人の身体観を、古今東西の文献を検証しつつ振り返り、現代の窮屈な身体観から解き放つ。

内容説明

「膝」と言えば、ピンポイントの膝頭ではなく太ももの前側全体を指し、「肩」と言えば、肩峰のみならず、首肩まわりの「界隈」を指す…おおざっぱであり曖昧であり、細かいことは気にしなかったはずの日本人の身体観。ところが、現代の身体に関する志向性はこれに逆行している。人間同士の境界も環境との境界も曖昧であったがゆえに、他人や自然と共鳴できていた日本人の身体観を、古今東西の文献や文学、また能の詞章を検証しつつ振り返ることで、「カラダ」と「ココロ」に分裂し、内向きになっている現代の身体観を、打開する端緒としたい。

目次

第1章 「身」と「からだ」(欠落した身体;はだか ほか)
第2章 曖昧な身体(主客の境が溶けるとき;時間の境も曖昧に ほか)
第3章 溢れ出る身体(溢れ出す身体;情緒 ほか)
第4章 ため息と内臓(環境と直接つながりたいという欲求;『古事記』に見る欲求の変化 ほか)

著者等紹介

安田登[ヤスダノボル]
1956年生まれ。下掛宝生流能薬師、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)。千葉県銚市子出身。大学時代に中国古代哲学を学び、20代前半に漢和辞典の執筆に携わる。能楽師として東京を中心に舞台を務めるほか、年に数度の海外公演、学校や市民講座、学会などで能や能の身体技法会得をテーマとしたワークショップを開いている。能のメソッドを使った朗読・群読の公演や指導も行い、東京、東江寺で論語と謡曲を中心とした寺子屋「遊学塾」を開催(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

アキ

82
現代の身体への考えは細分化と対象化が進むが、からだとは元々死体の意味であった。からは「殻・空」が語源。からだを表す言語は、み(身)「実」と同源。古事記には魂という言葉もなかった。西洋の古典ホメーロスのイーリアスでは既に魂と亡骸は分離している。幽霊がシテになる能も多い。能では身体と心は分離されることはなく、生者と死者の区別も他者と自分との境界も曖昧であった。更に草木国土悉皆成仏は日本独自の考え。日本語の語源から解き起こす身体論。能は無声の息も含めての身体芸術。「命には終りあり、能には果てあるべからず」世阿弥2020/01/16

チャーリブ

48
人間の身体性ということが気になって読みました。著者は能楽師で公認ロルファーという人なので生の身体論を期待したのですが、古典や漢字の語源などの知識主体の内容でした。「からだ」とは本来死体という意味で、生きている身体は「身」と呼ばれていたとか、日本人は元々境界があいまいな身体観を持っていて、自他をあまり区別せず性的なことにもおおらかであったとか、「息」という漢字は「自」=「鼻」なので呼吸と心の関係を暗示しているとか、今の自分の関心からは外れる内容でした。古典の知識を深めたい人には好適。2023/03/08

壱萬弐仟縁

28
混浴(029頁~)。男女間のやり取りもエロスというか、喧嘩っ早い感じがするのは不思議である。漱石は猫に、運動を西洋から神国への伝染病の一種だと言わしめる(038頁)。運動は時間がないから出来ないとも。いや、5分でも縄跳びでもやればいいと思う。2週間ぐらいはやっているよ。650年の歴史をもつ能は、控え目な芸能で、静かに真理のごとくに開示されるだけ。観客は自分のことを考える空間にいるようだ(078頁~)。2014/11/23

Sakie

22
今月、お話を拝聴する機会があるので、予備知識として。引用は古今東西の古典からで、身体は手足から始まり内臓や粘膜まであるのだから、とにかく話の間口が広く深い。東洋人にとっての境界とは点や線でなくもっと曖昧な一帯、即ち「あわい」であるなど、興味も尽きない。若い人の型稽古は、からだが強く柔軟な故にうまくないとの指摘に瞠目した。歳を経て、からだが堅くなって初めてあるべき型ができるようになる、それが老成。その為には逆に、若くから稽古を重ね、からだを緩めることを覚え、日本人の身体観を学び醸成することが大事なわけで。2018/10/02

ぺったらぺたら子 

20
心身二元論の移植によって「身」が「からだ」にモノ化してしまう、その前の我々の感覚とは何か。野口晴哉や甲野善紀、さらには梅原猛、河合隼雄、等々とも繋がってくる。雨によって時空が歪む、という能の世界。天候の変化は身体の変化と不可分である。成瀬の映画でも雨が降る時、かならず主人公の内的な変化を伴うが。そうした日本人の「あわい」という境界の曖昧なかたちを肯定的に論じた本だが、「和」とは複数の笛を同時に鳴らすことであり、決して同じ旋律を鳴らす事ではない。だから本来「和をもって尊し」とは同調圧力的な物ではないのだ。 2020/03/26

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