出版社内容情報
葬儀の原型は古代中国でつくられた。以来二千数百年、儒教・道教・仏教が混淆し、「先祖を祀る」という感情に収斂していく。位牌と葬儀の歴史を辿り、死生観を考える。
内容説明
無宗教といわれることの多い日本人。だが、葬儀を行ない、時をさだめて墓参し、礼をつくして先祖を祀るのは、私たちの多くが霊魂の存在を漠然とでも感じているからだろう。葬儀のかたちは古代中国の先祖祭祀に由来する。紀元前二世紀、葬式の原型が儒教によってつくられた。以来二千数百年、儒教・道教・仏教が複雑に絡まりあい、各宗教が「先祖を祀る」という感情に回収されていく。本書では、葬儀と位牌の歴史をたどることによって、民族の死生観を考えてゆく。
目次
第1章 忘却のかなたへ―位牌の起源を求めて
第2章 儒教の葬儀から―位牌の先がけか
第3章 道教の葬儀から―位牌をささえる心情
第4章 仏教の葬儀から―位牌の成立まで
第5章 近世日本の葬儀へ―位牌の伝来と普及
第6章 魂のやすらぐところ―位牌という装置
著者等紹介
菊地章太[キクチノリタカ]
1959年横浜市生まれ。筑波大学卒業後、フランスー・トゥールーズ神学大学高等研究院留学。現在、東洋大学教授。文学博士。比較宗教史専攻。さまざまな宗教の根底にある、この世ならぬものへの畏れやあこがれに関心をいだく(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Takayuki Oohashi
12
図書館の民俗学コーナーで見つけた本です。読んでみたのですが、中国の古典などの難しい言葉による引用などが多くて、僕の知りたかった葬儀の素朴な疑問などにはあまり答えていないような気がしました。でも、中国の道教による葬式で、中国人が死後の世界でも、現世の官僚的なシステムを持ち込んでいるというくだりは面白かったです。この本の終章に書かれた、ご先祖様を祀るということが、日本人にとって特定の宗教を信じる以上に、自然な心の営みだというくだりには納得しました。僕たちの根底にある死生観については、もうちょっと学びたいです。2016/08/24
壱萬弐仟縁
9
中国には「昼は儒教、夜は道教」という言葉があるという(087頁)。また「人生に成功したら儒教、失敗したら道教」とも。評者の場合は明らかに後者(苦笑)。日本の本音と建前というのとはまた違うだろうが。祖母の葬儀では、終えてから相当な疲労感、脱力感を覚えている。肉親の葬儀とはそうしたものだろう。碧南市には墓も立てず、位牌も作らないという地域があるようだ(180頁)。それもまた、信じるも信じないも自由なのだろう。信じる自由、信じない自由とあり、ふつうはお寺で墓を作って、ということなのだが、宗教を知って判断したい。2013/03/17
ftoku
2
死をどのように考え、死者をどのように葬ってきたのか。そのわりきれない感情を思うとき、葬儀は生者のためにあるように感じた。2011/09/19
春猫
1
目次が「忘却のかなたへ」などエッセイ風で不安になった。さらに挿絵にミソジニーとまでは言えないかもしれないが、著者の指定なのか挿絵画家の価値観なのか、若年女性への蔑視が感じられて嫌だった。2015/06/03
ねむりねずみ
1
葬送。儀礼とその後。残った感情と記憶。「位牌」という道具を切り口に、そこへ寄せてきた想いを掬っていく。2013/10/17