内容説明
仏教は、呪術性と身体性を強めることによって、人々を救済する宗教となった。たとえば、坐禅。あるいは、念仏。こうした呼吸法をともなう身体感覚をつうじて、仏の教えははじめて深々と腑に落ちる。宗教とは信仰の世界の話であり、論理の積み重ねだけで語ることはできない。仏教は、老病死に向き合う高齢者にどう応えられるのか。生きることに虚しさをおぼえる人々に、どう語りかけることができるのか。現代から、あらためて問う。身体感覚から読み解く仏教史2500年。
目次
第1章 ブッダとダルマ―仏教を実感するとき
第2章 縁起・空、そしてこころの変革
第3章 仏教の変容と救済―インドから中国・日本へ
第4章 法華経―現世に向き合うとき
第5章 浄土教と日本人の霊魂観
第6章 華厳経の現代―その世界観・生命観
終章 いのちという身体感覚
著者等紹介
久保田展弘[クボタノブヒロ]
1941年生まれ。早稲田大学卒業。アジア宗教・文化研究所代表。専攻は比較宗教学、文化論。一神教・多神教世界を、多岐にわたるテーマから追究し、独自の宗教研究を展開する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nomak
9
禅とマインドフルネスの番組でこの本が紹介されていました。“身体感覚”には良い意味で裏切られましたが、とても素晴らしい本。私自身は瞑想をしながら釈迦と禅とZENそして大乗仏教について同じ釈迦の説いた仏教として考えられなかったのですが、この本を読んで理解することができました。そして、仏教とは悟りの宗教であり、文字をなぞるだけでは悟りには達しない。実践を通して、煩悩と苦を経て身体で感じるしかない。木を見上げ世界との響き合いを感じる、縁起に生かされている身体感覚。1人では生きていない。私も身体で感じたい。2020/07/28
はちめ
7
再読のはずだがほぼ記憶なし。おそらく当時はあまり理解できなかったんじゃないだろうか。仏教の歴史をたどりながら、初期仏教、中国、日本、鎌倉仏教などについて身体感覚をキーワードに説明するというのは興味深い。ただ、最後が華厳経で終わるというのは少し理解できなかった。あまり深く考えずに身体感覚で読むべきなんだろう。☆☆☆☆2019/08/27
nizimasu
6
身体感覚というワードに惹かれて読んだもののその中心となるのは、仏教の発生とその歴史的な変遷にある。インドにおける大乗と上座仏教の大分裂などを経て、インドの密教化。中国での経典を元にした道教や儒教との相克、日本においての神道や民間信仰との習合もいわずもがな。そんな仏教の栄枯盛衰が輪廻や霊魂の容認などにもあったという変遷をたどる。となると、仏教はもともと瞑想などの身体技法も変化していく訳でそうした点を、浄土や華厳経などとの経典の成立と伝来などと比較対照しているのが面白かったりします2015/04/16
マープル
3
タイトルもオビも詐欺。オビには「坐る。称える。瞑想する。」なんていかにも座禅や念仏や山岳修行のたぐいの実践紹介を期待させといて、本文ではほとんどそんな単語自体出てこないという有り様(怒)。いちおう著者は自分で実践はしてるみたいですが詳しくは全く触れられません。そこを期待したのに残念だ。 で、著者の言う「身体感覚」とは要するに「腑に落ちる」ということのようで、インドに始まり中国、日本と伝播してくる中で変容していったその時々の”仏教”(初期・大乗・密教・浄土など)をどう「了解」するかについて、単に知的・(続)2013/10/31
大道寺
2
「身体感覚」ってタイトルに惹かれて買ったのに内容は「私と仏教史」って感じだった。「ちがいない」って言いまくりですね。ちょっと笑っちゃう。まあ言い方の癖はいいとして、あまり得るものがなかった。2010/06/15
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