内容説明
近代日本の変革は、常に外圧による「開国」として語られてきた。「開国」をどう理解するか、外圧にどう対応するかという問題は、外交上の課題にとどまらず、政治的にも思想的にもきわめて重要である。幕末の開国については多くの議論が交わされてきたが、誤解に基づく歴史認識も依然として残っている。一八五三年、五四年のペリー来航は、どのような衝撃を日本に与えたのか?本書では、膨大な資料をもとに幕末の日米交渉を検証し、現代の新たな国際化への指針を探る。
目次
第1章 一八五三年浦賀沖
第2章 アメリカ東インド艦隊
第3章 議論百出
第4章 ペリー艦隊の七ヵ月
第5章 一八五四年ペリー再来
第6章 日米交渉
第7章 日本開国
著者等紹介
加藤祐三[カトウユウゾウ]
1936年生まれ。東京大学文学部を卒業。東京大学東洋文化研究所助手、横浜市立大学教授、学長を経て、現在、横浜市立大学名誉教授。専門はアジア史、文明史、横浜学
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感想・レビュー
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skunk_c
52
日米和親条約(下田追加条約を含む)締結の過程を、幕府の担当者とペリー一行の具体的な交渉や、ペリーの立場、江戸周辺での庶民の動きなどを交えながら生き生きと描き、そのなかで「交渉条約」という対等性の高い関係を築いた当時の日米関係を評価する。明治以降流布された「アメリカ砲艦外交に屈したダメ幕府」のイメージはここにはなく、当時の世界状況を知悉した幕府「高級官僚」の力量の高さが示されている。さらに当時の他国の状況にも目配せがあり、ロシアとアメリカを比べ後者をとってプチャーチンを「たぶらかした」そうだ。幕臣恐るべし。2021/04/25
えいなえいな
12
ペリーが黒船でやって来て鎖国をしていた日本が開国した、と言うのはだれもが知っている事でしょうが、実際はそんな簡単な話じゃないだろうな、と言う疑問がありました。その辺りの話を期待して読んだのではなく国内の動きを知りたくて読んだのですが、日本からの視点だけではなく米国側からの視点も取り入れ、ペリーがいかに苦労して日米和親条約を結んだのかが書かれています。結果的にはいろいろな疑問が解消し、大変ためになりました。また、日本人は頭の良い民族なんだな、と思わせてくれるような記述も多く、誇らしい気持ちになりました。2018/04/29
birdrock
2
幕末のインテリ層にとって、アヘン戦争はとても衝撃的でした。長崎を通じてアヘン戦争の顛末を詳しく分析した結果、英仏ではなくアメリカと付き合うこと・戦争になれば絶対に勝ち目がないことを確信し、ペリーとの交渉に臨んだのでした。鎖国政策ではどんな理由でも海外に出た人の帰国を禁じていましたが、ペリーとの交渉では漂流民を帰国させるという一大転換が起こりました。これは幕末に「国家」という意識があった証拠です。大統領命令で日本にきたペリーが、だんだん日本人のことを好きになっていく様子が彼の報告書に残っているそうです。2015/06/24
メロン泥棒
2
目から鱗が落ちるような黒船来航。日本はオランダと中国、2系統の情報源を常に持ち、黒船が来る1年前から黒船来航の情報を掴み、準備を整えていた。条約締結においても、アメリカ側が用意した条約文を精査し矛盾点を指摘し交渉を有利進め、複数ある翻訳版のうち相手に有利になりそうなバージョンには署名をしないなど非常に慎重だった。また、ペリー自身も砲艦外交どころか、本国から武力行使を厳しく禁じられていた。世間に知られている砲艦外交や頼りない幕府というイメージは明治以後、不平等条約を改正する原動力を生み出すためだった。2011/09/29
日の光と暁の藍
1
未だに蔓延る誤解、すなわち、「①無能な幕府が、②強大なアメリカの軍事的圧力に屈し」(P244)たとする誤解を解くにふさわしい研究書。真実は以下の通り。①交渉の応接掛を務めた林大学頭は、ペリーの脅しに動じず、反論して通商要求を取り下げさせた。②ペリーは大統領から発砲厳禁命令を受けていた。日米和親条約交渉の背景をかなり丁寧に追い、清の太平天国の乱によりペリーがより日本重視になった、などの記述は面白かった。ペリーの浦賀来航から下田追加条約調印までの期間を扱っており、日米修好通商条約は本書の対象外なので注意。2014/03/05