内容説明
いまや日本人は自分たちを「無宗教」と規定してなんら怪しむことがない。しかしほんとうに無宗教なのだろうか?日本人には神仏とともに生きた長い伝統がある。それなのになぜ「無宗教」を標榜し、特定宗派を怖れるのか?著者は民族の心性の歴史にその由来を尋ね、また近代化の過程にその理由を探る。そして、現代の日本人にあらためて宗教の意味を問いかける。
目次
第1章 「無宗教」の中身
第2章 「無宗教」の歴史
第3章 痩せた宗教観
第4章 日常主義と宗教
第5章 墓のない村
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
trazom
79
著者は、宗教を「創唱宗教」と「自然宗教」に分類し、日本人が無宗教に見えるのは自然宗教が優越している結果であるとする。柳田國男の「平凡」の概念を援用して、その構造を解き明かそうとされているが、私は、どうもよく理解できない。そもそも、創唱宗教の一つである仏教の受容をどう考えるのか、神道をどう位置づけるのか(明治政府は神道非宗教論という詭弁を弄したが…)、自然宗教は宗教か伝承か、日本は創唱宗教を必要としないほど健全だというのは本当かなど、本著で触れられた項目それぞれについて、もう少し根本から考えてみたい。2021/01/18
樋口佳之
35
「自然宗教」が根強く生きているからだというしかない。「葬式仏教」とは、この「自然宗教」との妥協の産物…「自然宗教」の先祖崇拝や霊魂観をそっくり認めた上で、仏教的色彩を施したのが「葬式仏教」…「葬式仏教」とは、「自然宗教」に仏教の衣を着せたもの/本願寺教団の門徒たちにとってもっとも重要な「報恩講」(親鸞の忌日を記念する集団行事)も、それまでの年中行事であった秋の収穫祭の変形/はい、既に50年前ですが「ほんこさん」と呼ばれる村をあげての祭りでした。/日本人の宗教性について様々な視点で学べる内容でした。2019/05/15
gtn
27
日本人は無宗教ではない。初詣に行き、墓参りをし、クリスマスを祝う。著者はそれを「自然宗教」と呼ぶが、いわば、おすがり宗教の信者である。そこに宗教的哲学はない。その節操のなさは、世界に誇れるものではない。2019/01/19
ひと
18
信仰のある生活が健康にも長寿によいことがわかっているのに、どうしても宗教に踏み込めずにいるので、タイトルと評判が気になって手に取った本。なるほど、日本人は自然宗教の信者であって、創唱宗教ぎらいとの説に納得。神道が天皇崇拝システムのために政治的意図から整理されたもので、宗教ではなく祖先崇拝であり、祭祀にすぎないとは残念。また、特に戦後の日本人は日常生活で不条理を感じる機会が少ないことも宗教を求めないことにつながっていそう。現在位置は整理できたが、どのように宗教と付き合うかを改めて自分で考える必要があるな。2023/10/30
小太郎
18
この本はタイトルに惹かれて読んだのですが、なぜ日本人の多くが自覚していても、そうでなくても自分が無宗教だと感じているのかを的確に色々な例を挙げて検証しています。そうか成程と納得。決してキリスト教などの無神論じゃない汎神的で自然な宗教観がどうして熟成されたのかを明治におきた国家神道の成立と共に解き明かしているのは素晴らしい。 日本独特のムラの論理、浄土真宗が神道との関わりにおいて体現した本質的な葛藤など読ませどころ満載でした。★42020/04/04