目次
「まえがき」のかわりの自問自答
二つ違いの兄が居て
でっかいおしりの働き者だったから
野っ原には可憐な花も咲き
お友達なんかいりませんでした
やがて慣れてくると女は
もしかして夫婦ってこんなじゃないか
段々畑を上がっていった家にお嫁にいった
女は一度も起き上がらなかった
なんだ野原の原なのか〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
baba
31
佐野さんのエッセイ集。自問自答は小さな頃のことを客観的に良く覚えていて人柄が伝わり、なかなか面白い。ズバリ私はそうは思わないと言えるところが佐野さん。たちまち機嫌がよくなるかはわからないが、子どもに関する記述は良かった。2016/08/09
アナクマ
30
書評の章_本を紹介するばかりでなく。ひとりの人が、他者の創作したものに出会う、その時に起きた感情のゆらぎを、素直に、精緻に述べている。家庭の壊れを、すれ違いの不自由と自由を、無邪気と希望を、「仰天した」り「嫌だなぁ」と思ったりしながら、あからさまにしてゆく。その述懐は、〈分からないようで、分かる〉と簡単に言ってしまってはいけないようなエスノグラフィー的興味をかき立てる。読書人(佐野)の来歴、人となりへの興味が尽きない読み物になっていて、つまり面白い。2025/10/16
アナクマ
27
「コスモスを植えたのは不機嫌な中年の父なのだ」。子どもの頃の作者は、しゃがんで道端の草花をちぎっては捨て続けた。嗅いだり潰したり吸ったりもした。大人になると草花は買うものとなり、様々な花の名を知るようにはなったが、味わうことはなくなった。という話し。何のことはない追想なのですが、肉体感覚にあふれどことなく官能的なエピソード。で、父親が平凡な草花を庭に植えるようになったと差し挟む。これは何の確認なのか。2026/02/06
アナクマ
25
(p.23)(いいところと、悪いところとを)そうやって分けちゃうと、すごく目の大きなあみで魚すくうみたいなもんなの、スッポンスッポンあみから落ちちゃうものに気がつきもしないで、気がつきたくないのね、スッポンスッポン落ちちゃったものがね、大事な大事なものなの。2021/04/29
アナクマ
25
筆がたつ、というのとは違う。正しい、というのとも違う。少しひねた「私はこう思う」が、しかし真っ当で清々しい。◉こういう昭和のつぶやきが、現代のブログやSNSの海にあったらどう存在しただろうかと時々想像する。本作は、問わず語りの個人史として、やはり頭ひとつ浮かぶだろうと思う。◉「縦につながって来た血縁を私たちは個の確立のために切ろうとしている。個と血縁のごった煮の中からカレーライスのごとき孤独対策が生まれるのではないかと考えるのは甘いかもしれぬ」(p.66)。ここをどう読むか。80年代中頃の警句とも読める。2018/06/10
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