出版社内容情報
私たちは、いつも先のことばかり考えて生きている。だが、本当に大切なのは、今この瞬間の充溢なのではないだろうか。刹那に存在のかがやきを見出す哲学。
内容説明
わたしたちはいつも、“いつかどこか”のために、日々をやり過ごしている。はたしてこれは生きているといえるのだろうか。ほんとうは最も大切な“今ここ”の充溢こそをかみしめるべきなのではないだろうか。瞬間に立ちあがる、その刹那の存在のかがやきを、哲学者をはじめ作家や漫画家、シンガーソングライターらの仕事に見出し、瞬間を生きる技法を提示する。
目次
プロローグ 瞬間という聖地
第1章 瞬間抹消―瞬間を忘れて生きるのはなぜなのか
第2章 生きられている瞬間の闇
第3章 水中花―プルーストの瞬間復元法
第4章 美の時
第5章 永遠の瞬間
エピローグ ルーナの告白
著者等紹介
古東哲明[コトウテツアキ]
1950年生まれ。京都大学哲学科卒業後、同大学院博士課程修了。現在、広島大学総合科学研究科教授。専門は、哲学、現代思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ももたろう
29
「いまこの瞬間のなかにすべてがある。少なくとも、大切なものは全部そろっている。人生の意味も、美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも。だから瞬間を生きよう、先のことを想わず、今このかがやきのなかにいよう」 宗教、哲学、文学、芸術あらゆる角度から「瞬間刹那の芳醇さ」が語られている、素晴らしい本だった。時間って人間が作ったものであり、本来存在しないものであり、幻想だという事を改めて認識した。「いま、ここ」に生きることで、生の輝きや充実を感じられる。社会はその逆の流れに向かう。流されないようにしたい。2017/05/20
メルセ・ひすい
5
15-40 わたしたちは、いつも<いつかどこか>のために、日々をやり過ごしている。はたしてこれは生きているといえるだろうか?…★時(生、存在、リアリティ)はにげていく。刻一刻、この瞬間に現に生きていく生であり現実のはずであるが、そのあまりにもの間近さゆえに、それとして自覚的に(経験)されず、「見失われし時」と名づけた… なぜ、先のことばかりを考えて生きるのか。本書では、瞬間に立ち上がる、その刹那の存在の輝きを、哲学者をはじめ作家や漫画家、シンガーソングライターらの仕事に見出し、瞬間を生きる技法を提示する。2011/07/21
arisa
4
別にこう在る必然性は何もなかった。それなのに、宇宙のかたちはこう在る以外になかった。存在の、途方もない無根拠性。それなのに、「在る」、! 私が目の前の葉一枚を眺めるとき、葉を図と見ることで全ての宇宙を地として見ている。それと同様に、わたしがわたしとして顕在することを図として、それ以外の「在る」ことのなかった可能性が地としてわたしの中に内包されている。!極小で極大なわたし。それって、超すごくない!?2022/08/28
袖崎いたる
3
一冊ていろんな表情をもつ哲学書だこれ。探究篇で瞬間ん生きることの神秘を問い、理論篇では文学や芸術を介して瞬間を生きることの豊穣さを、実践篇ではこうすると瞬間を生きることに触れられるよと誘いつつ、終盤ではインドで出会った少女との対話が綴られ、悟った、もはやスピリチュアル的自己啓発な雰囲気にさえ突入していく。俺が最初にこの本を知ったのはそういえば精神科の待合室にあった本棚でだったっけな。たしかに、人生の意味だの自分の価値だのに迷える子羊しているクライアントにはうってつけの内容かもしれない。すべては今に満ちてる2025/06/03
Ñori
3
圧巻の良さ。ケチュア人やアイマラ人の善き生(Buen Vivir)という概念は自然との共生みたいな捉え方ばかりが先行しているが、フィールドでの調査を経たのち、この本が記述しているような一瞬の輝き、つまりプルーストの「真の生」、仏教の悟り、ゾーエー、その一例として理解。つまり先住民の生活実践にも「悟り」に近接するような瞬間の哲学があり、日常に感じられる無常の感覚がある。この普遍性の存在驚愕、ひらめき。La vida es momento。今思考すべてが一つながりになった。風立ちぬ、いざ生きめやも。2021/03/12