内容説明
「手術をするまで死ぬことなんて怖くなかったの。だのにこの頃ちょっと痛かったりすると怖くて…」21歳の若さで顔面の軟骨肉腫という不治の病と闘いながらも彼のために生きようとしたミコ。それを遠く離れた東京から手紙で支えるマコ。お互いを想うあまりの嘘や自殺未遂をも乗り越えた二人だったが…400通もの手紙が紡いだ感動のベストセラー。
目次
1 マコと呼んでいいですか?
2 告白
3 手術
4 苦しみ
5 回復
6 恐怖
7 再発
8 生きる
9 願い
10 別れ
著者等紹介
大島みち子[オオシマミチコ]
1942年、兵庫県西脇市に生まれる。県立西脇高校二年在学中に発病、卒業まで入退院を繰り返す。一八歳の夏、入院先の病院で河野実と出会い、文通が始まる。1962年、同志社大学入学の夏、再発。その後一度も退院することなく、1963年8月7日永眠
河野実[コウノマコト]
1941年、大阪市に生まれ、後に長野県伊那市に移る。県立伊那北高校を卒業後、浪人中に入院した病院で大島みち子と出会い、文通が始まる。中央大学入学後も文通は続き、三年一ヵ月の間に約四〇〇通にもなった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
真香@ゆるゆるペース
100
今から50年以上前、軟骨肉腫という不治の病と闘うミコ(大島みち子)と中央大学に通うマコ(河野実)の、大阪と東京間で交わされた往復書簡集。手紙の数は、3年間で400通。ミコさんとマコさんの濃密なやり取りは、メールやLINEにはない手紙の良さだったり、人を愛することだったり、優しさだったり… 多忙でデジタル時代に生きる我々現代人に、彼らは人としての本来あるべき姿を教えてくれる。心洗われる一冊。2019/08/11
黒瀬
52
顔面軟骨の骨肉腫という不治の病と戦い、1963年に21歳の若さで亡くなった大島みち子さんと彼女を支えた河野実(まこと)さんの間で交わされた400通もの手紙のやり取り。 出会うはずのなかった二人が偶然同じ病院に入院していたことから始まった文通。それはとても清く、愛情に満ち溢れ、生に執着し、優しい嘘をつき、時にはお互いに自殺未遂を引き起こすほど二人の繋がりを強固なものへ昇華させる。読者は残りページ数と手紙に記された日付から別れが近い事を察したが、二人は覚悟こそしていたものの最後まで諦めていなかった。2019/11/28
鈴
43
【愛週間@月イチ】③ミコとマコで有名な実話。大学生のマコ(河野実さん)と顔の軟骨肉腫で入院しているミコ(大島みち子さん)の文通約400通。治る可能性を信じて顔半分を切除する手術。どんなに辛かったことだろう。ミコはマコがいたからこそ、最後まで幸せを感じられたのかもしれないが、どっちが病人なのかわからないほど、しょっちゅうマコがミコに励まされている。「将来一緒に暮らせる望みなどこれっぽっちもないのに、おそらく生涯病院で過ごしてしまう私を、いつも暖かく包んで下さる貴方」ミコの言葉は強く美しい。2017/01/26
月島雫
32
東京の大学に通うマコ、顔面軟骨腫に侵され大阪の病院に入院中のミコ。2人の手紙によるやり取りを主として、その愛の軌跡を追った実話。顔の半分を失いながら生きる希望を捨てなかったミコ。それはミコを支え生きる希望と絶え間ない愛を与えたマコがいたからこそ。逆にミコを失う恐怖からお酒に逃げたり不眠に悩むマコを支えたのはミコでした。お互いを痛いほど思いやり苦しくなってしまう2人がいじらしかったです。悲しい結末なのはわかっていますが、2人のやりとりには未来を見据えた愛であふれていました。2014/09/23
ミズキ
4
今の大学生に読んで欲しい本。東京の大学に通う実(マコ)と顔軟骨肉腫により大阪で入院中のみち子(ミコ)の往復書簡集の形をとるが、適宜河野さんによる解説がついているため物語のように二人の交流記録を追える。ミコを愛し励まそうとする余り自分を傷つけてしまうマコ、一方病気のために顔の半分を失いつつも、マコのために生き続けようとするミコ。初版が60年近く前の本なので、手紙か電話でしかやりとり出来ない時代背景は今と違うけれど、二人の愛と信頼の深さへの感動は色褪せていない。マコと同じ20歳でこの本を読んで本当に良かった。2015/12/12
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