真相「明智光秀の乱」―幻の室町幕府十六代将軍と信長の兜

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真相「明智光秀の乱」―幻の室町幕府十六代将軍と信長の兜

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  • サイズ 46判/ページ数 336p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784473046970
  • NDC分類 210.48
  • Cコード C0021

出版社内容情報

〈「騙された謀反人」光秀。その梯子を外したのは誰か?〉
〈動乱の戦国期に続いた政変を、「輪切り」でなく連鎖的・多角的に見直す〉
13代将軍・足利義輝の遺児とされる尾池義辰(おいけよしとき・足利道鑑)の数奇な人生と彼にかかわる周辺を精査することで、明智光秀謀反の真相と動機を解明します。謀反より55年後の寛永14年(1637)に起きた「島原の乱」の喧騒のさなか、義輝の遺児・義辰が織田信長の兜と槍をたずさえ表舞台に登場。この史実を基に、謎とされてきたいわゆる「本能寺の変」(明智光秀の乱)の背景にある複雑性を解消させ、天皇と関白が一体化した豊臣政府の成立過程にメスを入れます。前著『伊賀越え』(2024年刊)に続き、日本史の常識、フレームをも変えうるセンセーショナルな一冊です。


【目次】

内容説明

当事者の一人近衞前久はいわゆる「本能寺の変」を「明智乱之砌」と振り返った。ところが「島原の乱」が起きた寛永十四年(一六三七)、五十五年の歳月を経て光秀謀反の全容を知る老人が現れた。この老人は足利義輝の遺児尾池義辰(足利道鑑)と名乗った。驚くべきことに徳川幕府と細川藩はその事実を認めてその子孫たちを厚遇した。義辰は信長の兜と槍を熊本藩主細川忠利へ献納して身の証とした(『細川家文書』二一)。それは明智軍が接収し幻の十六代足利将軍に捧げられた戦利品であった。信長の兜は頂戴し槍は返すと記した義辰宛の忠利の礼状が、日本史に大転換を迫る。

目次

寛永十四年(一六三七) 尾池義辰の出現 足利義輝の御曹司と明智軍の戦利品
寛永六年(一六二九) 義辰出現の八年前 天海と春日局の本懐
天文十六年(一五四七) 義辰出現の九十年前 「上杉本洛中洛外図屏風」と「足利・近衞体制」
永禄三年(一五六〇) 義辰出現の七十七年前 足利義輝と「桶狭間の戦い」
永禄四年(一五六一) 義辰出現の七十六年前 足利義輝の報復戦争と長尾景虎(上杉謙信)
永禄八年(一五六五) 義辰出現の七十二年前 「永禄八年五月政変」と正親町帝
永禄十二年(一五六九) 義辰出現の六十八年前 明智光秀と妹妻木
天正五年(一五七七) 義辰出現の六十年前 明智十兵衛尉の復讐
天正十年(一五八二) 義辰出現の五十五年前 複合謀反と空〓の光秀

著者等紹介

小林正信[コバヤシマサノブ]
1962年愛知県春日井市生まれ。2001年織豊期研究会参加。三鬼清一郎名古屋大学名誉教授に師事。2011年8月 博士(比較社会文化・九州大学)。比文博乙 第27号(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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