内容説明
絹子は大阪・天満菅原町の乾物問屋に生まれた。昭和十五年、周囲の猛反対を押し切って当時人気抜群であったOSSK(大阪松竹少女歌劇団、のちのOSK)に入り、駒ひかると名のって舞台に立つも、世の中は戦争に突入していく。大店の跡取り娘が、戦中戦後の混乱している芸能界を知恵と力でくぐり抜け、無名に近い落語家・桂米朝と出会い、結婚したのは昭和三十三年四月のこと。米朝の内弟子一号の枝雀、二号のざこばら、型破りの多くの弟子たちを陰から支えて育ててきた。本名は中川絹子、舞踊名は若柳吉古錦。波乱に満ちた半生記のはじまり始まり―。
目次
第1章 桑田絹子―なにわのいとはん(大店の跡取り娘に生まれて;七歳で箏の初舞台;天満宮界隈 ほか)
第2章 駒ひかる―自分で道を開いて(OSKの「駒ひかる」誕生;研究科をトップで卒業;上級生には京マチ子が ほか)
第3章 中川絹子―桂米朝とともに(「三」並びの挙式;長男、小米朝誕生;双子の誕生、枝雀が内弟子に ほか)
著者等紹介
廓正子[カマエマサコ]
1929年、大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業後、産経新聞社入社。文化部で主に演劇担当の記者として活躍。現在、産経新聞編集委員、大阪市文化財保護審議会委員、人形浄瑠璃因協会理事ほか
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感想・レビュー
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テクパパザンビア
15
面白かった。枝雀も吉朝も米朝も噺上手の名人はいなくなった。残ったのはざこばに小米朝(現 米團治)…残念。2020/01/22
kera1019
3
米朝師匠の「私の履歴書」と米團治師匠の「子米朝」と合わせて読んだ方がオモロイかも…2012/03/29
佐伯りょう
2
こういう気性の女性でないと米朝一門のおかさんは務まらンやろなー。それにしても枝雀の死が惜しまれる。枝雀は奥さんに出会ったとき、「あんたみたいな天涯孤独の女の人を捜しとったんや」と言ったという。なんて枝雀らしいセリフなんだ。そんな天涯孤独の奥さんを残して先に逝ったらアカンやないの…… 2009/05/20
あんPAPA
0
米朝師匠の来し方は新聞紙上で何度か目にしているが、奥様の側からの記述もなかなか面白かった。米朝師匠の話し方も上品な少し昔の大阪弁(船場の言葉)で大学時代の恩師を思い出し懐かしい。2021/09/26
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