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内容説明
中国の歴史書はどのようにして成り立ち、書き継がれたものであるか。その様子を見ていくと、それは歴史書の歴史であるだけではなく、まさにそこに人間の歴史そのものがある、と言いたくなるような重みを持って、我々に迫ってくる。
目次
第1章 『春秋』の虚実
第2章 『史記』の成立
第3章 「正史」の形成と展開
第4章 記録する側の論理
終章 北魏・国史事件の意味するもの
著者等紹介
竹内康浩[タケウチヤスヒロ]
1961年、青森県弘前市生まれ。1984年、弘前大学人文学部(東洋史専攻)卒業。1990年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(東洋史専攻)単位取得退学。現在、北海道教育大学教育学部釧路校(東洋史)助教授。殷周青銅器及び『山海経』に関心を持ち、中国古代史を勉強中。また一方、歴史教育・歴史学習の意義について思索中
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ジュンジュン
9
奇しくも、最近読んだ「戦国武将、虚像と実像」(呉座勇一)とコンセプトは同じ。歴史書は書かれた時代、立場によって制約を受けるのは当然だが、官選で編まれた「正史」はバイアスの度合いが強い。儒教的道徳での評価が事実の記録より優先され、王朝の正統化につながっていく。2022/10/20
さとうしん
6
TLでしばらく前に正史の話題が出たので再読。『史記』『漢書』『三国志』『後漢書』が当初私撰の書であり、特に『史記』において、後代で言う稗史・野史的な要素を多分に含んでいることを思うと、正史と稗史・野史の区別に必要以上にこだわることは、史学史以外の文脈で果たしてどれほどの意味があるのかと思った。2016/06/27
サアベドラ
4
二次史料はなにかしらのバイアスがかかっているので、書いてあることをそのまま鵜呑みにしてはいけません、という初歩的なことがつらつら書いてあるだけ。そんな歴史学の入門書に書いてあるようなこと力説されましても困ります。タイトルから中国の歴史叙述のスタイルや思想の変遷を考察するのかを期待したが、そこら辺は論証が甘く、あまり参考にならない。アマチュアならともかく、著者は歴史学の助教授(執筆当時)なのだから、もっとレベルの高い話をしてほしい。一般向けと割りきっても、ちょっと手を抜きすぎじゃないかな。2011/04/12
赤白黒
3
著者の歴史学習への思いを述べた本だった。著者の言いたいことは終章に集約されていると思う。冒頭『春秋』から『史記』への流れ、『史記』と『漢書』の比較などは面白く読んだが、その後はエッセイのような冗長な文章で印象論を縷々述べるばかりで(帝王の異常出生譚は面白かった)、現代人の目線で過去の編纂物に筆誅を加える姿勢が鼻につく。洪秀全への評価にしても、『清史』が「載記」を設けて伝記を立てたのであればそこには当然編者の歴史観が反映しているはずで、その部分をもっと掘り下げてほしかった。全体的に歴史書への愛を感じない。2024/08/28
河イルカ
1
中国も最初から長い歴史があったわけではないのに、歴史に対するこだわりは、非常に古くから発生している。 崔杼のエピソードも、兄弟が皆殺されても記録を残すとは明らかに太史の職務を超えた義務感があり、それは後の司馬遷、班固、陳寿にも通じている。 こうした個人的な行動に支えられていることが、中国の歴史の魅力だと思う。 歴史の上で本来あるべき理想を語るのは、歴史修正主義と同じではないかという疑問があったが、根底の部分で全く異なることが分かった。