内容説明
ミナサン、ミナサンハ、僕ノニホン語ノ何ガオカシイノデショウカ?帰国子女、コモリ君は文章語で話すおかしな小学生。ニホン社会の異分子として日本語に出会い、格闘し、教える側にまわるまで、近代文学研究の論客、小森陽一の日本語とのタタカイの記録。
目次
第1部 日本語に出会う(ことばとの出会い(東京・プラハ/小学校時代)
帰国してから(東京/中学校時代)
ことばの実践としての政治参加(東京/高校時代) ほか)
第2部 日本語と格闘する(アルバイト教師時代(札幌/大学院生)
日本文学を教える(東京/大学教師)
アメリカで日本語と出会う(カリフォルニア/客員教授) ほか)
第3部 日本語を教える(道場破り―小学校の巻;道場破り―中学校の巻;授業というライヴ―高校の巻)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
寛生
41
【図書館】プラハのロシア語学校での幼児期から、自らにとって《外国語》である日本語・文学を教える大学教員になるまでの、自身のことばとの邂逅とその軌跡についての自伝のようなもの。小森の著書を読んできた中で、そのコトバの世界を比喩すると、なぜか《生もの》という表現が頭から離れない。コトバが生きている、まさに新鮮であり、呼吸をしている。まるで十字架で死んだコトバ、墓に葬られ、もう死んでいただろうコトバが復活させられるという妙な感覚をもつ。聴いたことのないような音色を放つコトバの世界にこちらの身体もふとゆれていた。2014/09/08
那由田 忠
12
幼い時にロシア語の環境に置かれた著者が、日本の学校に来てからいわゆるいじめを受けて暮らしたこと、竹早高校に進学したら教員の不正が明らかになって追及が始まった。上級生の恨みつらみに我慢できず、生徒が学校経営や行事に関わる権利があるはずだという、生徒権宣言作成に関わって会長として授業改革を行なった話などが興味深かった。2025/05/09
清水勇
5
言語学習の臨界期(仮説:10-12歳を過ぎると自然に学ぶことが困難になる)を、チョコのロシア語環境の中で育った著者が、中学生から外国語として日本語を身に着ける中で、いじめられ馬鹿にされながら日本語とは何か、会話とは何かを真剣に考えていく経緯には、日本語の面白さを再認識。日本語を不得意としていた著者が、大学で日本語を教える立場になる過程は人生の面白さだが、第3者の視点が著者の真骨頂。会話が単なる情報伝達ではなく、自分の意見を構築し、深く考える結果、異なる立場・考え方を受け入れる機会となることを再認識できた。2014/09/26
魔魔男爵
3
普通の日本語を話す普通の日本人を必要とするのは、型にはめて管理し易くする為の抑圧者の論理。小学時代をチェコで暮らしロシア語で思考する著者が、地獄の全体主義国家日本を糾弾する好著。反日主義者でロシア萌えの人は必読。言語学、文学、教育学、演劇の面白い話題が頻出する。ゲイネタももちろんでますわよ。夏目漱石のアレも宮沢賢治のソレも天皇批判文学であったと解読するシーンはとても興奮しました。高みから一方的に指し示すティーチングを否定し、みんなが輪になって座って討論するセッションの有効性を訴える良書。多様な交わりが真理2013/05/28
Kokopelli
1
帰国子女として日本語の文化に順化していく苦労は伝わった。が、その過程でちょっとねじれちゃったのかな。2023/07/14




