出版社内容情報
シリーズ解説:
「彼を知りえたことは私の生涯の中で最も刺激的な知的冒険の一つであった」という B・ラッセルの証言を引くまでもなく、ウィトゲンシュタインの哲学的思索の軌跡は、二十世紀の知的世界が遭遇した一つの事件であった。比類のない分析力のおもむくところは、論理的に完璧な言語の構想から、具体的な語の使われ方に文法を見出そうとするところにまで及び、考察の照準は、一貫して言語の批判に向けられていた。
内容説明:
後期思想への最良の入門書
1930年代は、ウィトゲンシュタインの生涯のもっとも生産的な時期であった。それはまた、『論理哲学論考』に代表される初期思想と訣別し、言語をゲームとしてとらえるという後期思想の中心テーマが豊饒な実りをむすんだ時期でもあった。「青色本・茶色本」は33年から35年にかけて彼の講義を学生たちに筆録させたものであり、転換期における思索の息づかいをそのままにつたえる貴重な文献である。ほかに、この時期の講義用ノート、フレーザー著『金枝篇』に対する周到な書評、『マインド』誌への手紙を収録。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
白義
14
「青色本」「茶色本」「フレーザー『金枝篇』について」を収録。「青色本」は独我論の迷宮にあえて、徹底的に踏み入り、問題の所在を示す、回答ではなく「準備」の書で、自分はまさに今、哲学の渦中にあるのだ、と確信させてくれる白熱した論考。やがて言語がこの錯覚の主因だと悟り、「茶色本」で言語ゲームの過程を詳細に描写することで、問題が「解消」され、「私」と「世界」の一致へと静かに進んでいく。どちらも文章自体は読みやすく、問題もセンスがある人にはピンと来るので「何を語っているのか」がわかりやすい2013/07/24
roughfractus02
0
意味は使用によって決まると主張する際に著者は「意味とは何か」という問いに予想される答えとの繋がりを検討し、意味は形成されたものであり、仕様の面が抜け落ちて成立する点に注意を促す。歯痛の意味は歯痛を指示するからあるのではなく、歯痛という語の使用によって構成される。世界には指示による定義不能なものが溢れているゆえに、著者は言語による定義を試み(『青色本』)、世界を直示する定義なしに「言語とは何か」と問うことで、言語を扱う言語の「ゲーム」という考えを導出する(『茶色本』)。言語は直示不能な世界において存在する。2017/02/09
じゅんすいむく
0
とりわけ『フレーザー「金枝篇」について』に現れている宗教観、そしてそれを媒介にした「他者」の認識。「他者」「他人」はぼく(ら)にとって全く訳の分からない類のものではない。宗教だって訳の分からない怪しげで洗脳的な記述の類なんかじゃない。それは、人間の心の動きの記述、何らかの満足の記述。でないと、「それらは全く理解不能になってしまうから(大意)」、というメッセージは、「分かり合うこと」について有意味に語ることの、その余地を残してくれている気がする。2015/04/05
おなかム
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人は錯誤に立脚してはじめなければならず、錯誤に真理を承服させなければならない。2013/07/27