内容説明
民俗学者柳田国男が大学入学前後に、錚々たる仲間と詠んで評判のよかった新体詩を、四年たらずでやめたのは何故か?本書は、「恋の挫折の罪責感」が理由だと言う説に驚いた孫が、詳細に検証して、その間違いを明らかにしたものである。そこには島崎藤村が『若菜集』に見せた詩才に驚いた松岡国男がいた。
目次
小論1 柳田国男が新体詩をやめた理由に島崎藤村の影響を見る
小論2 柳田国男に隠し子なんていなかった―岡谷公二著『柳田國男の恋』で歪められた柳田国男像
第1章 松岡国男の少年期・青年期そして松岡姓から柳田姓へ
第2章 国男の新体詩と『文學界』と島崎藤村
第3章 田山花袋の国男をモデルにした小説と、国男の花袋宛書簡
第4章 田山花袋と柳田国男の親友関係
第5章 岡谷氏による国男に「隠し子」がいたという説の誤りを検証する
第6章 岡谷氏が「隠し子」説の根拠としてあげた箇条の検証
小論3 南方熊楠紹介の手伝い岸女に国男が手をつけたという憶測の間違い
著者等紹介
南八枝子[ミナミヤエコ]
1944年4月柳田国男と同居の長男為正の第二子(長女)として生まれる。1967年3月成城大学文芸学部文化史コース民俗学科卒業。1969年2月米国インディアナ州立インディアナ大学大学院民俗学科修士号取得。1970年1月結婚、二子をもうけ、夫の転勤に伴い二度、通算9年、アメリカに暮らす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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