加藤清正「妻子」の研究

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  • サイズ A5判/ページ数 258p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784434110863
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C3021

出版社内容情報

熊本日日新聞社主催 『第29回熊日出版文化賞』受賞

☆選考委員評☆ (2008年2月16日熊本日日新聞「熊日出版文化賞」決定報道より)

●諸説ある清正の妻子関係を文献や墓碑調査などから検証した。
●イメージが先行しがちな清正とその妻子の実像を客観的に実証した。
●墓や寺に足を運び、歴史科学の視点からアプローチしている。

☆謎多かった家系 真実に迫る労作(2008年2月24日熊本日日新聞「受賞作の魅力」より)

封建時代の系譜について女性の記録は少ないし、系譜の誤謬も多い。筆者は自分の産んだ子が「ある朝目覚めたら他の女性の子にされていたら無残である」と述べられている。それぞれの時代を家と子供のために必死に生きた女性たち、その真実をこのように明らかにする研究に敬意を表したい。 富田紘一(熊本市文化財専門相談
員)

☆『散文月評』(2007年11月25日熊本日日新聞より)

資料考証、実地踏査を踏まえてもたらされた史実にも驚かされるが、文章のうまさも加わり謎解きの面白さを追体験できる。資料に残りにくい女性を系図に復元するという意表をついたテーマと整然とした論証は、むしゃんよか、の一言に尽きる。 古江研也(熊本電波高専教授=日本近代文学)

☆節目の年の受賞に感激(2008年2月16日熊本日日新聞「受賞者コメント」)

●著者・福田正秀さん(59)=熊本市 歴史研究家

熊本城築城400年の節目に賞をいただき感激している。水野さんと膨大な資料を調べ、新たな事実を掘り起こすことに力を入れた。

これまで根拠なく語られてきた説ではなく、清正の妻子に関する真実の姿が語られるよう期待している。

内容説明

「今だからわかる!」史料で探る真実の妻子関係―清正には妻五人に実子五人と養子が一人いた。これまでの定説では妻三人に子は四人とされ、母子系譜も間違いだらけ。根拠もなく語られてきた加藤清正「妻子」の全貌が、清正の正室清淨院(家康養女)の実家水野家の当主と熊本の研究家による徹底的な史料考証で四百年ぶりに明らかに。豊臣時代これまで全く知られていなかった妻子の存在、徳川との固い絆となった姫たち。加藤家斷絶の裏に二代忠廣の妻子たちなど、これは清正の実像を知る上で必要不可欠な、近世初頭の有力大名肥後加藤家の成立と滅亡にも関わる基本的に重要な研究成果である。英雄を陰で支えた女たち―戦国から泰平への大きな転換期の時代、清正の血を誰がどのように伝えていったのか。家と家との絆となった姫たちの信仰と祈りは。正室と側室の関係など、これまで名も知れず歴史の陰に消えていった大名家の奥に生きた女たちの様々な真実が明らかになる。女性史研究上も必見の一書。

目次

第1章 諸説検証(清正の子供たち;母子系図)
第2章 山崎氏と虎熊・百助(肥後入国前からの妻子(秀吉朱印状)
糟糠の妻は山崎片家息女(山崎家譜)
虎熊の実在(清正書状)
清正に百助という養子がいた(山崎家譜))
第3章 徳川時代の清正の妻たち(帰国三年、四人の妻に四人の子;「加藤家御侍帳」に見る加藤家の女性たち)
第4章 清淨院(水野氏)とあま姫(瑶林院)(結婚の背景;加藤家へ入った清淨院の付人たち(水野家文書)
関ヶ原直前に大坂脱出
黒田如水の支援と過酷な山中越え(黒田家譜)
清正の祈願と歓喜(清正書状)
あま姫生母の証明
熊本にも清淨院の墓(法宣寺))
第5章 淨光院(菊池氏)と古屋姫(本淨院)(古屋姫の誕生;生母は本覺院か竹之丸殿か;徳川四天皇の榊原家へ嫁ぐ;阿倍正澄に再嫁、二子を産む;古屋姫の子正能老中となる;古屋姫(本淨院)の墓地調査
古屋姫の母は淨光院
古屋姫娘の墓(日向延岡藩二代有馬康純室))
第6章 本覺院(菊池氏)と忠正(最初の江戸妻;忠正死して清正悲嘆にくれる;文献史料に深まる謎;本覺寺は清正在世時の建立;菊池武宗の息女説;墓碑と石祠に見える物語;二基の墓、淨得院は誰?;柄鏡に映る妻たちの交流)
第7章 正應院(玉目氏)と忠廣―改易への階段(忠廣生母の証明;玉目氏とは;忠廣肥後五十四万石を相続;馬方牛方騒動;三斎書状に見る改易の真相;忠廣と光正、父子の対立;紀州頼宣の働き;庄内配流と塵躰和歌集;庄内丸岡・家臣と女中;忠廣の祖母を迎えに;丸岡での生活;正應院と忠廣逝去;加藤家廃絶と遺品のゆくえ)
第8章 二代忠廣の妻子(崇芳院(蒲生氏)と松平光正
法乗院(玉目氏)と正良・献珠院
献珠院―父を慕いて
丸岡時代の妻子)

著者等紹介

水野勝之[ミズノカツユキ]
昭和18年(1943)東京生まれ。成蹊大学工学部電気工学科卒。会社勤めを20年した後独立、スリーケー株式会社・代表取締役就任現在にいたる。主として、設備の自動化などのコンサルタント。旧備後福山藩・下総結城藩水野家後裔、元子爵家、霞会館会員(資料展示委員)、尚友倶楽部会員。最近では東京ゴルフ倶楽部・史料室委員長として「日本ゴルフ史」の研究にも携わる

福田正秀[フクダマサヒデ]
昭和23年(1948)長崎県生まれ。放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。日本歴史学会会員。歴史研究会会員。熊本史談会会員。熊本県文化懇話会会員。熊本城400年と熊本ルネッサンス会員。熊本在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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