出版社内容情報
なぜ核兵器のない世界は実現されないのか、なぜ日本は脱原発に踏み切れないのか。Q&A形式で原爆と原発の必須知識を提供する。
体内に取り込まれた放射性物質による被曝(内部被曝)の影響はなぜこれまで軽視されてきたのか? その謎を解くには原爆と原発をめぐる「核の戦後史」に目を向けなければならない。世界に先駆けて行われた原爆開発・マンハッタン計画とは何だったのか、なぜ広島・長崎へ原爆が投下されたのか、核実験の放射能汚染による人的被害はどのように隠蔽されたのか、そしてなぜ今、日本は脱原発に踏み切れないのか。Q&A形式で原爆と原発の必須知識を提供するシリーズ第4弾。
第1部 原爆投下と戦後史の謎Q&A
講義篇「原爆投下から戦後ははじまった」
(1)広島では十四万人、長崎では七万人が原爆で亡くなりました(一九四五年十二月までに)。犠牲者には多くの子供、女性が含まれます。なぜこんな無差別爆撃が行われたのですか?
(2)原爆神話とは何ですか?
(3)ドイツ降伏後もなぜアメリカは原爆開発を続け、日本へ原爆を投下したのですか?
(4)「マンハッタン計画」とは何ですか?
(5)投下先として広島と長崎が選ばれたのはなぜでしょうか? また、なぜ一発でなく、二発投下されたのでしょうか?
(6)日本はなぜポツダム宣言を「黙殺」したのですか? すぐに受諾して降伏していれば、原爆投下はなかったのでは?
(7)結局、日本が降伏した要因は何だったのですか?
第2部 核体制と戦後日本Q&A
講義篇「機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る」
(1)原爆投下に対して、日本政府はどのような対応を取ったのですか?
(2)アメリカはなぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
(3)内部被ばくは人体にどのような影響を与えますか?
(4)アメリカは戦後、広島、長崎に調査団を派遣して被爆地を調査しました。どんな目的で何を調査したのですか?
(5)ABCCが被爆者をモルモット扱いしたと言われるのはなぜですか。どんな調査をしたのですか?
(6)一度に一〇〇ミリシーベルト以下の被曝なら体に影響がないと聞きました。どうして一〇〇ミリシーベルトなのですか?
(7)国際原子力ムラとは何ですか?
(8)日本は国際原子力ムラの意向には逆らえないのでしょうか?
【著者紹介】
鹿児島大学教員、平和学専攻。1954年8月生まれ。北九州市小倉出身。日本平和学会理事。平和問題ゼミナールを主宰。インターネット新聞NPJに論評「時代の奔流を見据えて」を連載中。主な著作は単著『危機の時代の平和学』(法律文化社、2006年)、共著『広島・長崎への原爆投下再考─日米の視点』(法律文化社、2010年)、『闘う平和学─平和づくりの理論と実践』(三一書房、2014年)、『米国が隠す日本の真実─戦後日本の知られざる暗部を明かす』(星雲社、2015年)、編著『終わらない〈占領〉─対米自立と日米安保見直しを提言する!』(法律文化社、2013年)、『21世紀のグローバル・ファシズム─侵略戦争と暗黒社会を許さないために』(耕文社、2013年)、『核時代の神話と虚像』(明石書店、2015年)など。
内容説明
原発再稼働、内部被ばくの軽視、核不拡散条約の決裂…被ばくの実態に目を向けず、核体制の維持を目指す日米の思惑とは?戦後史の謎を解く鍵は、「核」にある!Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実。
目次
第1部 原爆投下と戦後史の謎Q&A(広島では十四万人、長崎では七万人が原爆によって亡くなりました(一九四五年十二月までに)。戦争中とはいえ、なぜこれほどの威力のある兵器が使われたのですか?
原爆神話とは何ですか?
ドイツ降伏後もなぜアメリカは原爆開発を続け、日本へ原爆を投下したのですか?
「マンハッタン計画」とは何ですか?
投下先として広島と長崎が選ばれたのはなぜでしょうか?また、なぜ一発でなく、二発投下されたのでしょうか?
日本は、なぜポツダム宣言を「黙殺」したのですか?すぐに受諾して降伏していれば、原爆投下はなかったのでは?
結局、日本が降伏した要因は何だったのですか?)
第2部 核体制と戦後日本Q&A(原爆投下に対して、日本政府はどのような対応を取ったのですか?;アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?;内部被ばくは、人体にどのような影響を与えますか?;アメリカは戦後、広島、長崎に調査団を派遣して被爆地を調査しました。どんな目的で何を調査したのですか?;ABCCが、被爆者をモルモット扱いしたと言われるのはなぜですか。どんな調査をしたのですか?;一度に一〇〇ミリシーベルト以下の被ばくなら体に影響がないと聞きました。どうして一〇〇ミリシーベルトなのですか?;国際原子力ムラとは何ですか?;日本は、国際原子力ムラの意向には逆らえないのでしょうか?)
著者等紹介
木村朗[キムラアキラ]
鹿児島大学教員、平和学専攻。1954年8月生まれ。北九州市小倉出身。日本平和学会理事。平和問題ゼミナールを主宰
高橋博子[タカハシヒロコ]
明治学院大学国際平和研究所研究員(客員)。アメリカ史専攻。1969年生まれ。富山大学非常勤講師、早稲田大学現代政治経済研究所特別研究員、広島市立大学平和研究所講師をへて、現在に至る。2003年、同志社大学文学研究より博士号(文化史)取得。日本アメリカ学会、日本アメリカ史学会、日本平和学会、文化史学会、同時代史学会などに所属。広島平和記念資料館資料調査研究会委員、都立第五福竜丸展示館専門委員、日本平和学会理事、日本平和学会グローバルヒバクシャ分科会共同代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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