茶の湯とは何ぞや―禅僧、茶の心を問う

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  • サイズ A5判/ページ数 223p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784418125111
  • NDC分類 791
  • Cコード C0095

出版社内容情報

「利休ほどの人が七十年かけても答えが出なかった茶の湯を、遊びごとで終らせてしまうのはもったいない」と説く。茶人必読の書。

著者は臨済宗相国寺派管長であり、金閣寺、銀閣寺の住職も兼ねるわが国を代表する禅僧。また、千利休の直弟子であった有馬則頼の子孫ということもあって、茶の湯にも造詣が深く、利休のいう「いかなるか、これ茶の湯」を生涯のテーマとしている。あまりにも型や形式にとらわれすぎている現代の茶道界に警鐘を鳴らし、「利休ほどの人が七十年かけても答えが出なかった茶の湯を、単なる遊びごとで終らせてしまうのは、実にもったいない」と説く。茶人必読の書。

目次

1 真に豊かなお茶を求めて(茶はほんとうに栄えているか;日本文化のよさを伝えてきた茶の湯;「熱き心」で人をもてなすということ ほか)
2 禅と茶の湯(墨蹟とは何か;禅語といかに向き合うか;「喫茶去」に秘められた意味 ほか)
3 折々の茶道具―私のコレクションから(初釜;高麗青磁白黒象嵌筒茶碗;蒟醤長角茶箱―珠玉の小宇宙 ほか)

著者等紹介

有馬頼底[アリマライテイ]
1933年、東京生まれ。41年、大分県日田市臨済宗岳林寺にて得度。55年、京都臨済宗相国寺僧堂に掛搭(入門)、大津櫪堂老師に師事。68年、師の後を受けて相国寺塔頭大光明寺の住職となる。71年、相国寺派教学部長、95年、臨済宗相国寺派7代管長(相国寺132世)に就任。同時に鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣の住職も兼任。京都仏教会理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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Yasunobu Hino

3
何事も便利に、合理的にと、昔から大切にしてきたものを切り捨てていくことが、実は逆に人間の精神を貧困にしてしまっていると警鐘を鳴らす。 1.たとえ質素な茶であっても、客をもてなす心は誠心誠意でなければならない。 2.茶会の目的は人と人とが真心をもって交わること。 3.悟りというのは、結局はどこまでもどこまでも修行を続けていくことにほかならない。 最後に、茶の湯の本質とは、常にそれをテーマとして追求してやまないその姿勢にある2014/05/13

Yoshihiro Yamamoto

2
A- 相国寺の売店で見つけた本。「茶」というものを禅僧はどのように捉えているのか、興味が湧いて読んでみた。『日常茶飯事の中にこそ「本当の真実」がある』『「一期一会」人生で一度しかない機会と思って、人を持てなす』など、含蓄が深く面白かった。読了後、たまたま「英雄たちの選択」で千利休を取り上げていた。その中で秀吉の「黄金の茶室」は成金趣味と言われているが、正親町天皇をもてなすときに「彼のできる限り精一杯の心づくし」が「黄金の茶室」であったという千宗屋氏の指摘は目から鱗であった。茶人・井伊直弼のことも見直した。2023/10/24

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