内容説明
スポーツ紙が書かなかった仰木監督の素顔。その「人間味」が熱きパ・リーグ魂を作り上げた。
目次
10・19
出会い
監督
移籍
引退
別れ
著者等紹介
金村義明[カネムラヨシアキ]
1981年、報徳学園高等学校在学中に春夏で甲子園連続出場。エースで4番を打ち、春は初戦で槇原寛巳(元巨人)がエースの大府に敗れたが、夏は荒木大輔(元ヤクルト→横浜)の早実、工藤公康(西武→ダイエー→巨人)の名古屋電気など並みいる強豪を下し優勝。2大会を通じて5割7分7厘、3本塁打と打ちまくる。同年、ドラフト1位で近鉄に入団、三塁手に転向。『いてまえ打線』の中核をなす。1995年、FAで中日へ。1997年、トレードで西武へ移籍。勝負強い右バッターとして活躍し、1999年引退。通算成績は、1262試合、打率2割5分8厘、127本塁打、487打点。現在は野球評論を中心に幅広い分野で活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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遥かなる想い
142
愛弟子 金村義明による 仰木監督の鎮魂歌である。あの時代のパリーグの雰囲気が現代に伝わり 素直に嬉しい。仰木監督との出会いから始まり、 1988年の 10.19 そして 別れまでの 日々が 哀切に綴られる。 パリーグが全く人気がなかった時代の苦闘が 蘇る…人間 仰木彬の破天荒な生き様が なぜか懐かしい…そんな本だった。 2019/12/04
シュラフ
30
野村とか落合の野球を"頭脳派野球"とすれば、この仰木と金村のコンビの野球は"ファイト一発野球"とでも言うべきだろうか。グラウンドでは血反吐を吐くほど猛烈な練習をしながらも、アフターファイブになれば夜の街へと繰り出すそのタフネスぶり。見かけダンディーな仰木彬というのはその中身も男のフェロモンを感じさせる人物だった。不振の選手に対してあれこれは言わない。ただ「きさん、もっと練習せんか!」と本気で喝を入れる。これには野茂も心底びびったらしい。その功罪も多かろうが、管理野球型の常勝軍団に対するアンチテーゼだった。2016/08/10
金吾
22
○金村さんが仰木監督のことを慕い、仰木監督が金村さんを可愛がったことがよく伝わりました。一生においてそのような関係を築けた人は幸せだなあと思いました。指導者に必要な人間としての要素も鈴木監督と対比することによりよくわかります。2022/03/09
テクパパザンビア
20
面白かった。お気に入りさんの感想で『川崎球場が大変なことになってます』30年前の久米宏の叫びが10・19翌年10・12の両Wヘッダー戦が蘇った。あの頃は良かったなんて意地でも言うもんか…。2020/01/05
再び読書
11
テレビでおなじみのユーモアな解説が、面白い金村氏の仰木彬さんへのレクイエム。わかっていても最後は、涙してしまいます。遊びの粋さと野球人としての精一杯の知恵を絞る事が、よく一つところに共存しているなと感心します。当然勝つことが、プロスポーツの終着点ですが、仰木彬さんは川上哲治監督の様に、心もプロになるべく、色々な人を導いたと思われる。多分現代の色々な分野の指導者に必要な、特性(長所)を最大限に活かす事で、欠点をカバーする指導が出来ていた人と感じた。2013/07/17
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