図解 ザ・採点競技―オリンピックが10倍楽しくなる!

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B5判/ページ数 95p/高さ 26cm
  • 商品コード 9784413006903
  • NDC分類 780.69
  • Cコード C0075

内容説明

いまの早技は何か?美しく見える理由は?なぜこの得点なのか?不思議がわかればもっと面白い!知りたかった疑問に答えて2004年アテネを満喫する本。

目次

1 体操競技(競技の歴史;採点のしくみ ほか)
2 新体操(競技の歴史;採点のしくみ ほか)
3 シンクロナイズドスイミング競技(競技の歴史;採点のしくみ ほか)
4 飛込競技(競技の歴史;採点のしくみ ほか)
5 トランポリン競技(競技の歴史;採点のしくみ ほか)

著者等紹介

塚原光男[ツカハラミツオ]
日本体操協会アテネ五輪強化委員会体操競技総監督、朝日生命体操クラブ代表。1968年メキシコ五輪に出場。72年ミュンヘン、76年モントリオール五輪では個人鉄棒で1位。60年ローマ五輪から続く男子団体5連覇に貢献した。個人でも鉄棒で連覇したほか跳馬2位、平行棒3位。モントリオール五輪を最後に現役引退。日本スポーツ界クラブ組織の草分けである朝日生命体操クラブ設立。数多くの選手を国際舞台に送り出す。アテネ五輪では体操競技チームリーダー就任

塚原千恵子[ツカハラチエコ]
旧姓、小田千恵子。日本体操協会アテネ五輪強化委員会女子強化本部長。1967年日体大在学中に頭角を現し、68年メキシコ五輪出場、団体4位に貢献。翌年個人総合で全日本チャンピオンになり、70年世界選手権では団体4位の原動力となった。その後引退し、女子体操競技指導の第一人者として数々の五輪選手を育てる。今回のアテネ五輪に続き、北京五輪に向け、日本体操協会女子体操強化の指揮を執ることが内定している。47年に塚原光男氏との結婚、朝日生命体操クラブで体操競技の普及と強化に力を注いでいる

秋山エリカ[アキヤマエリカ]
日本体操協会アテネ五輪強化委員会新体操強化本部長。東京女子体育大学助教授。中村学園女子高校で器械体操から新体操に転向し高校総体で8位。83年に東京女子体育大学入学後、急速に頭角を現し、84年ロサンゼルス五輪日本代表、13位になる。88年ソウル五輪で15位。全日本選手権は85年から6連覇。89年世界選手権8位となった後、90年に現役引退。現在は後進の指導にあたり、アトランタ五輪代表の山尾朱子など数々の選手を育てた。アテネ五輪では新体操監督に就任

田中京[タナカミヤコ]
本名、田中ウルヴェ京。日本大学医学部講師。日本大学在学中の88年、ソウル五輪シンクロ競技のデュエットで3位。五輪後引退し、91年に渡米、カリフォルニア州セントメリーズ大学院にて健康・体育・リクリエーション学部修士課程修了。スポーツマネジメント、スポーツ心理学、コーチ学を学びアリゾナ・スクール・オブ・プロフェッショナル・サイコロジーで認知行動療法、サンディエゴ大学院でパフォーマンス・エンハンスメント、アスレティックリタイヤメントを修得。89~99年まで日本、米国、フランスのナショナルチームコーチを歴任。Jリーガーや力士などプロスポーツ選手のメンタル・トレーニングも行う

伊藤直樹[イトウナオキ]
日本体育大学教授、日本トランポリン協会理事、東日本トランポリン協会副会長、東京都トランポリン協会副会長、全日本学生トランポリン連盟顧問。日本体育大学体育学部体育学科入学、卒業後は日本体育大学に勤務し現在に至る。1969年度・70年度全日本学生選手権大会優勝。68、69、70、72、73、75年度全日本選手権大会で優勝。72年(ドイツ)、74年(南アフリカ)、76年(米国)世界選手権大会日本代表選手。その後の世界選手権大会ではコーチを歴任している
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

最近チェックした商品