出版社内容情報
〈コントロールcontrol〉を「管理」ではなく「制御」と訳してみること。そのシンプルな試みから圧倒的強度をもって展開される現代世界の徹底的な読み換え。テクノロジーから人間の意識まで、社会の隅々に浸透し、なお拡大する「制御」という言葉の力を、情報理論から社会、経済、政治、はては脳科学までをも果敢に横断し、余すところなく分析する。人文学における凝縮された理論的研究の成果。
【著者紹介】
1963年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、現在、立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、社会理論。。著書に『ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(平凡社新書、2001年)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』(平凡社新書、 2005年)、『大人のための「ローマの休日」講義 オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書、2007年)、『映像論序説 〈デジタル/アナログ〉を越えて』(人文書院、2009年)、編著に『映像と批評ecce[エチェ]』1~3号(2009年~2012年、森話社)など。
内容説明
“コントロール control”を「管理」ではなく「制御」と訳してみること。そのシンプルな試みから圧倒的強度をもって展開される現代世界の徹底的な読み換え。テクノロジーから人間の意識まで、社会の隅々に浸透し、なお拡大する「制御」という言葉の力を、情報理論から社会、経済、政治、はては脳科学までをも果敢に横断し、余すところなく分析する。人文学における凝縮された理論的研究の成果。
目次
「管理社会」と「制御社会」―ログ・オン
第1部 制御の形態分析―スタートアップ・メニュー(制御の三つの形態;制御の動性分析;制御の深度分析)
第2部 経済の制御、政治の制御―アプリケーションno.1(経済のなかの制御から、制御のなかの経済へ;国家を搖動する制御、統治を誘惑する制御;二つの統治術といくつかの情動)
第3部 存在の制御、制御の存在―アプリケーションno.2(制御と実存、制御のなかの生活世界;制御、偶発性、相互主観性;心の制御、脳の制御)
新しい唯物論と新しい形而上学のあいだ―ログ・オフ
著者等紹介
北野圭介[キタノケイスケ]
1963年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、社会理論。2012年9月から2013年3月まで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ客員研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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