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新自由主義と権力―フーコーから現在性の哲学へ

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  • サイズ B6判/ページ数 198p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784409040997
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C3010

内容説明

新自由主義とは、「自由放任」による統治ではなく、社会全体を競争原理で満たす介入主義的統治である。新自由主義的統治の先駆的分析であるとともに、その批判を既に提示したフーコーの講義『生政治の誕生』を精密に読み解き、現代的権力に即応する抵抗の戦略を、その最深部において構築する。

目次

第1部 新自由主義と権力(新自由主義的統治とは何か;規律権力から環境介入権力へ;主権権力の強化と例外状態の常態化)
第2部 抵抗の戦略(器官なき身体から抵抗へ;マイナー性への生成変化)
補論 服従化=主体化は一度限りか

著者等紹介

佐藤嘉幸[サトウヨシユキ]
1971年京都府生れ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了後、パリ第十大学にて博士号(哲学)取得。現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科専任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ラウリスタ~

12
フーコーがパノプティコンを用いて示した規律権力は今やなく、各人が新自由主義的な競争原理を内面化することで自律的に主体化=服従化する環境介入権力へと移行した。かつての自由主義が自由放任を主張した一方で、新自由主義は社会のあらゆる部門(教育、インフラ、健康)に競争原理を導入し、社会全体を統御しようとする。学生が企業家精神(アントレプレナーシップ)を、社会人が自己啓発を求められるのも全てこのせい。各人は支配的イデオロギー(競争原理)を取り込むことで、主体となり(立派な社会人となり)、自発的に服従する。主体性の嘘2023/12/23

白義

4
現代思想からの新自由主義論、ネオリベの統治と権力について、かなりまとまった書籍の一つ。フーコーの生政治論を頼りに、社会の経済化と絶えない競争化、自己マネジメントする主体という現代の市場的権力の姿を精緻に分析し、そこから例外状態を常態化させセキュリティを発動させる管理社会をデリダやアガンベンを使って描写する。第二部は、ドゥルーズ、バトラーを参考にマイナーなものへの生成変化、器官なき身体の駆動を抵抗の戦略として提唱している。フランス現代思想としてはまだ分かりやすく、整理が上手くておすすめ2011/10/29

檜田相一

3
新自由主義的統治は、有名な「規律権力」のように個人の身体を直接の対象とするのではなく、環境そのものに介入して作用する。社会のすみずみまで競争原理を構築し、労働者は労働者は自己のキャリアをセルフマネージメントすることを要求される。注意すべきは、競争原理の構築のために強い国家権力が要請されることと、セルフマネージメントができない人間は社会から排除されるところである。また「社会的リスク管理」という統治技法が全面化する。セキュリティ=安全確保のパラダイムが全面化し、移民労働者などの統合できない存在が排除される。2024/01/24

ステビア

3
第一部は良かった。第二部みたいなのはまともに相手する気にならない。「ネオリベ」とリバタリアンの関係についても考えねば。2013/12/22

いかすみ

2
まず、フーコーの統治の概念をベースに、新自由主義の権力を分析していく。それは「環境介入権力」と定義され、競争が発生するように社会に働きかけ、市場原理を内面化した主体を作り出す。そして、市場原理を内面化した主体は、自分自身の企業家となりセルフマネジメントする。また、その権力は逸脱するリスクがあるものを排除するというリスク管理も行う。次に、この新自由主義的統治から逃れる術として、ドゥルーズの「器官なき身体」、「生成変化」が参照される。この脱主体化=脱服従化の戦略が私には理解できなかったけど、前半は面白かった。2024/02/20

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