ジャン=リュック・ナンシーと不定の二人称

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ジャン=リュック・ナンシーと不定の二人称

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  • サイズ 46判/ページ数 328p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784409031131
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C3010

出版社内容情報

ナンシー哲学の核心に迫る

共同体論にとどまらない思想の全貌



現代フランス哲学の巨星ジャン=リュック・ナンシー。共同体論がつとに名高いその思想家は、150余りの著作を残し、2021年惜しくも世を去った。本書でははじめて、50年に及ぶ活動の全体を見据え、共同体論にとどまらないその思考の核心に迫る。鍵となるのは不定の二人称への言表行為。初期の人格主義から、デリダへの接近、主体、共同体、分有といったテーマの発展からキリスト教の脱構築へ。いまだ全貌が明らかではない哲学者に新鋭が挑む。



○目次

序論



第一章 人格主義の影――一九六〇年代のナンシーの思考について(一)  

 第一節 ムーニエの人格主義――召命の起源論と人間の目的論との絡み合い  

 第二節 人格主義の批判的継承者としてのナンシー――一九六三年「ある沈黙」   



第二章 デリダとの出会い――一九六〇年代のナンシーの思考について(二)  

 第一節 根源的なものとしての差異――一九六六年「マルクスと哲学」  

 第二節 アナーキーな書き込み――一九六九年「注釈」  



第三章 言表行為と不定の人称――一九七〇年代の主体論について

 第一節 カントにおける空虚な主体――『文学的絶対』の主体論

 第二節 ヌーヴォー・フィロゾフに抗して――『エゴ・スム』をめぐるコンテクスト  

 第三節 思想史のなかの主体――ハイデガーにおける「主体」と「現実性」

 第四節 前コギト的なもの、尖端としてのコギト、沈黙のコギト――ナンシー、デリダ、メルロ= ポンティ  

 第五節 開始点としての言表行為――主体の崩壊  

 第六節 「誰か」という不定の人称  



第四章 言語から存在へ――一九八〇年代の共同体論について

 第一節 「分有」という語の登場――一九八二年『声の分有』

 第二節 存在は言語に先立つ――一九八三年「無為の共同体」

 第三節 存在から世界へ――『無為の共同体』以後の思想展開



第五章 意味と投壜通信――不定の二人称への言表行為

 第一節 意味と意味作用、意味と真理

 第二節 古名の戦略と人格主義の残響

 第三節 キリスト教の自己脱構築から言表行為へ――脱閉域からアドラシオンへ  



結論

内容説明

現代フランス哲学の巨星ジャン=リュック・ナンシー。共同体論がつとに名高いその思想家は、150余りの著作を残し、2021年惜しくも世を去った。本書でははじめて、50年に及ぶ活動の全体を見据え、共同体論にとどまらないその思考の核心に迫る。鍵となるのは不定の二人称への言表行為。初期の人格主義から、デリダへの接近、主体、共同体、分有といったテーマの発展からキリスト教の脱構築へ。いまだ全貌が明らかではない哲学者に新鋭が挑む。

目次

第1章 人格主義の影―一九六〇年代のナンシーの思考について(一)(ムーニエの人格主義―召命の起源論と人間の目的論との絡み合い;人格主義の批判的継承者としてのナンシー―一九六三年「ある沈黙」)
第2章 デリダとの出会い―一九六〇年代のナンシーの思考について(二)(根源的なものとしての差異―一九六六年「マルクスと哲学」;アナーキーな書き込み―一九六九年「注釈」)
第3章 言表行為と不定の人称―一九七〇年代の主体論について(カントにおける空虚な主体―『文学的絶対』の主体論;ヌーヴォー・フィロゾフに抗して―『エゴ・スム』をめぐるコンテクスト ほか)
第4章 言語から存在へ―一九八〇年代の共同体論について(「分有」という語の登場―一九八二年『声の分有』;存在は言語に先立つ―一九八三年「無為の共同体」 ほか)
第5章 意味と投壜通信―不定の二人称への言表行為(意味と意味作用、意味と真理;古名の戦略と人格主義の残響 ほか)

著者等紹介

伊藤潤一郎[イトウジュンイチロウ]
1989年千葉県生まれ。早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、日本学術振興会特別研究員PD(立命館大学)。早稲田大学、流通経済大学、立正大学非常勤講師。専門はフランス哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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Bevel

2
ムーニエの人格主義のまとめ方とてもわかりやすい!と思い、読み始めてみたものの、デリダとナンシーが反アルチュセールで、つまり現象と物自体の差異(≒存在論的差異)の争点での科学批判で仲良くなったあたりまででよい読者になれなくなった。。「言表行為」をデカルト研究から展開するのはさすがに狭くないかとか、ハイデガーやラクーラバルトもデリダみたいになんで取り上げられたり、共同作業し始めたのか読みたかったなとか。最初と最後がムーニエなのだけど、そのあいだをもう少し別の埋め方できたのではないかなあとか。2024/04/01

saiikitogohu

1
【ナンシーが語る不定の二人称への差し向けとしての言葉とは、ツェランが語る投壜通信なのではないだろうか。どちらもともに、誰に届くかわからないにもかかわらず、「君」と言う2人称へ向けて、投げられる言葉である。投げられるときには、「君」が誰かは定まっていない。けれども、その言葉は、誰でも良い誰かへと宛てられるのではなく、他ならぬ二人称へと、誰でも良い君へと、誰でも良いあなたへと向かって投げられる。そして、…受け取った「君」や「あなた」は、他ならぬ「私」へと向けられたものとしてこの言葉を受け取る】2922023/12/10

HAL9777

0
ナンシーの思想の遍歴を辿り、その核としての「不定の二人称の言表行為」というテーゼが提示される。デリダらの影響を受けつつ、彼の存在論が言表行為の議論からパラレルに構築されていることが明快に述べられている。この「誰でもよいあなた」への「差し向け」という言表行為が「投壜通信」というモチーフへと接続され、ナンシーの鍵概念・思想を敷衍する。ただ、この投壜通信が投じられるまさにその「場・空間」はどのように開かれる(見つけられる)のだろうか。投じられた壜が岸へと辿り着かなければ、決して見つけられることはない。2024/01/30

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