フーコーの美学―生と芸術のあいだで

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フーコーの美学―生と芸術のあいだで

  • 武田 宙也【著】
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  • 人文書院(2014/03発売)
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  • サイズ B6判/ページ数 314p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784409030820
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C3010

出版社内容情報

フーコーの生政治論にはそれと表裏一体をなす「生存の美学」という理念が存在する。自己への働きかけによる自己自身の変形、そして自らの生をひとつの芸術作品にするということ。いまだ論じられることの少ないこのテーマは、美学的な主題を多く扱ったフーコーの前期と、主体や権力を扱った後期を内在的に結ぶ糸となる。蝶番となるキーワードは「外」。本書では、フーコーの主要な著作・講義録はもちろん、ドゥルーズが主体化の新たな様態を指し示す「アクチュアルなもの」の問題系を見出したインタビューや対談なども含めて、細やかに探究する。イタリア現代思想の成果をも取り込みつつ、主体、権力と抵抗、統治、真理などフーコーの主要概念の再検討をくぐり抜け、その思想の全体をひとつの「美学」として丹念に、そして鮮やかに描き出す新鋭の成果。

【著者紹介】
1980年、愛知県生まれ。。京都大学文学部卒業。リール第三大学哲学科修士課程修了。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在、日本学術振興会特別研究員。専門は哲学・美学。 共訳書にエスポジト『三人称の哲学』(講談社メチエ、2011年)がある。

内容説明

フーコーの生政治論にはそれと表裏一体をなす「生存の美学」という理念が存在する。自己への働きかけによる自己自身の変形、そして自らの生をひとつの芸術作品にするということ。いまだ論じられることの少ないこのテーマは、美学的な主題を多く扱ったフーコーの前期と、主体や権力を扱った後期を内在的に結ぶ糸となる。蝶番となるキーワードは「外」。本書では、フーコーの主要な著作・講義録はもちろん、ドゥルーズが主体化の新たな様態を指し示す「アクチュアルなもの」の問題系を見出したインタビューや対談なども含めて、細やかに探究する。イタリア現代思想の成果をも取り込みつつ、主体、権力と抵抗、統治、真理などフーコーの主要概念の再検討をくぐり抜け、その思想の全体をひとつの「美学」として丹念に、そして鮮やかに描き出す新鋭の成果。

目次

第1部 外の芸術論(表象とその残余―前期の芸術論から;「外」に触れること―ルーセルと「狂気」の言語)
第2部 主体化の構造(主体と権力―「統治」というテクネー;主体と真理―「生存の技法」による関係性の再配置)
第3部 外の美学(生と美学―パレーシアをめぐって;生を書き留めること/生を書き換えること―エクリチュールと真理;力としての身体―後期の芸術論から)

著者等紹介

武田宙也[タケダヒロナリ]
1980年、愛知県生まれ。京都大学文学部卒業。リール第三大学哲学科修士課程修了。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在、日本学術振興会特別研究員。専門は哲学・美学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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gorgeanalogue

10
フーコー後期のテーマとなった主体化における「生の技法」を美学的な概念として、さらには権力論と関連させて「外の美学」として位置づける。権力は外在的な何かではなくて、主体との関わりで生じる。 フーコーの概念はよく整理されていて、その「主体化」がむしろ非人称的な契機によっており、可変的で内外が反転する、ドゥルーズの襞のような性格を持っている、というくだりも説得力があり、面白く読めた。終章で出てくるアガンベンの「身ぶり」との関連はもう一つ展開しきれていない印象。2021/06/04

9
フーコー前期における芸術論を特徴付ける「外」の概念を、後期の主体論=「生存の美学」に接続することで、その思想を一つの美学として再構成する試み。計算機械的でシステマティックなサドの作品は非人称的なものであり、主体の消滅に接近するという意味で「主人を持たない言語」=「外の言語」とされる。この非人称的なアーカイブを根拠とする「外」のイメージは本書全体を貫いている。それは、『知の考古学』における「言表」の概念や、後期の主体論が、あくまでも非人称的な作用を原理とするポイエーシスであるという指摘にまで及ぶものだ。2021/12/17

ふふろ

1
難しくて半分も理解できていないとは思いますが、面白かったです。 フーコーについては権力論を少々かじった程度でほぼ前提知識がないのに関わらず、フーコーの思想が親切に解説がされていて安心しました。 現代では作者はもはやアーカイブから作品を切り取る機能でしかなく、果てしなく匿名性を加速させているという主張がとても興味深かったです。アガンベンの「身ぶり」と合わせて再度勉強したいと思います。2020/08/22

在我壷中

1
難解?チョムスキーとの対談等youtubeへ併せて眺めながら読み進めるのでしたが・・・難しい!ましてや250文字には解説しようが・・・私には出来ませんでした・・・申し訳ない・・・2014/05/30

Mealla0v0

0
フーコーを一貫して「外の思考」の思想家として位置づけ、とりわけ、フーコーの芸術論に焦点を当て、それを「外の美学」としての生と描き出す。前期フーコーにおける芸術論が、のちの監獄や主体の理論の、いわば雛型であったのではないか、という指摘には瞠目。ドゥルーズ、アガンベン、ランシエールとの交錯も仄めかされ、刺激的だ。▼またフーコーにおける前期と後期での権力や狂気の地位の変遷なども注意深く考察されている。アガンベンの用語が散りばめられているが登場の少なさが、ある意味では謎めく。2016/12/05

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