内容説明
江戸中期、木造人骨“身幹儀”製作に取り組んだ芸州広島の医師・星野良悦と木工芸師・原田孝次の苦闘とその生涯を描く渾身の長篇力作。
著者等紹介
市原麻里子[イチハラマリコ]
昭和36年、鳥取県に生まれる。成城大学文芸学部芸術学科卒業。平成10年、「天保の雪」で、第22回歴史文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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文庫フリーク@灯れ松明の火
62
杉田玄白・前田良沢・中川淳庵たちの罪人の腑分け(解剖)により「ターヘル・アナトミア」を翻訳した「解体新書」1774年刊は知られているが、僅か18年後の1792年に造られた、木造の人体骨格「身幹儀」については全く知らなかった。ぜひ「身幹儀」又は「星野木骨」で検索して頂きたい。221年前に造られたとは思えぬ精巧さ。骨は関節から取り外しできるよう臍(ほぞ)で繋がれ、頭蓋骨内部の神経孔や脈管などの孔の殆どがほぼ正確に彫刻されている。あごの骨が外れた患者を治すことのできなかった広島の町医師・星野良悦が人体総骨の→続2013/01/02
にし
56
木骨とは木製の人体骨格模型の事。江戸時代『解体新書』発刊後も、穢れると医学者とて、骨の所持が許されなかったとは!人体の仕組み、真理の探求こそが医学の向上に繋がると自分の信念を曲げずに木骨の製作に生涯を注ぐ星野良悦。誤解による蔑みや差別に屈せず、地位も名誉も必要としない本物の医学者の姿が静かな文章に纏められています。【此れを過ぎて以往、死を生かし骨に肉するの妙、庶くは得て至るべし】解体新書の序文がいつまでも響き渡る、素晴らしい本でした。いつか広島にある星野木骨を拝見してみたいです。2014/05/26
天の川
32
広島の町医者、星野良悦。「解体新書」を目にすることも、蘭学を学ぶ機会もない彼が、治療のためにと木骨標本作りに取り組む。穢れを忌む時代とは言え、遺骨を所持することが許されなかったとは知らなかった。何の手立ても持たず、周囲の偏見の目にさらされ、ひたすら木骨作りを模索する良悦と弟子たち。そして、息子の供養にと参画した職人原田孝次。彼が病の中で木骨をつくる鬼気迫る姿。真摯な彼らが胸に迫った。ネットで検索した星野木骨は…想像を超える正確さ!孝次の技に再度感動。人骨とは理に叶った構造を持つ美しいものだと思いました。2014/05/16
藤枝梅安
32
人の骨格の仕組みを解明しようと努力した広島の町医師・星野良悦と、良悦のもとで木骨を作成した原田孝次の半生を描いた作品。「研究のための研究」ではなく、病人たちを治すための研究に生涯を捧げた清廉な生涯を淡々と堅実な文体で綴っている。町医者をしていた良悦は、顎が外れた患者を治すことができず、医師としての力量を恥じる。藩に願いでて2名の死刑囚の遺体を解剖し、骨格を木で再現する仕事にとりかかる。孝次の細かな技が創りだした木の骨は良悦の意欲を形として現したが、地元の人々からは気味悪がられ疎まれる。(コメントに続く)2012/12/26
浅葱@
31
「木造人骨」を造るために人生を賭けた星野良悦と原田孝次。骨を所持することができなかった江戸時代『解体新書』の中にしかなかった全身の骨。骸骨。与えられた課題や仕事ではなく「骨は治療に役立つ。骨を調べれば人のためになる」と信じて仲間を作り、必死に只管に木造人骨を目指していく。私は、星野良悦もだが、原田孝次の必死に胸を打たれた。子どもを亡くしたてて親、孝次が息子の供養になると木造人骨に向かう姿。頭蓋骨についての想い。そして死期が迫る中、第二の木骨作成。頭蓋骨内部の構造が正確なものであったとの結びに涙が出た。→2014/05/06