内容説明
寺山修司の文学・演劇・映画を全力で支えた田中未知が24年の沈黙を破って語りはじめる寺山修司の核心。
目次
第1章 他者を映し出す鏡
第2章 天井桟敷の現場から
第3章 母地獄
第4章 病気を生きる
第5章 最後の映画撮影
第6章 寺山修司の死
著者等紹介
田中未知[タナカミチ]
1945年東京生まれ。演劇実験室「天上桟敷」の初期からのメンバーで、制作・照明を担当。演劇実験誌「地下演劇」の編集長も務める。音楽家として「時には母のない子のように」「人の一生かくれんぼ」のヒットをはじめ、寺山修司作詞・田中未知作曲のコンビで数多くの歌を残す。「幻想音楽展」「言語楽器パロール・シンガー展」「ドアを演奏する」と題したコンサートなど、実験的な音楽の試みをつづけると同時に、東陽一監督作品『サード』『もう頬づえはつかない』『四季・奈津子』『ザ・レイプ』、寺山修司監督作品『迷宮譚』『ローラ』など映画音楽も手がける。1983年に寺山修司が亡くなるまでの16年間、秘書兼マネージャーとしてその仕事を支えつづけ、没後、上映困難になっていた寺山修司監督作品『草迷宮』『さらば箱舟』の上映実現に尽力する。1986年、渋谷西武における「テラヤマ・ワールド」のプロデュースを最後に、日本を離れオランダに渡る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ぐうぐう
29
16年間、寺山修司の秘書兼マネージャーとして、その最後を看取った女性、田中未知。彼女が寺山の死から20年以上を経て、彼との日々を綴る。第1章からエンジン全開だ。盗作と剽窃の批判に始終晒されてきた寺山を、未知は徹底的に弁護する。その弁護はやがて、秀逸な寺山論へと変貌する。そこが実に読み応えがあるのだ。寺山の最大の理解者であるという未知の自負が、華麗な寺山論を展開させている。しかし、寺山の死後に出版された評伝の数々を「寺山のことを何もわかってない」と感情的になって攻撃するのは、どうもいただけない。(つづく)2017/06/29
団塊シニア
14
「時には母のない子のように」を作曲した田中未知、寺山の秘書兼マネージャーとして16年間公私にわたり支え続けた内容が克明に書かれてる、寺山への愛情と尊敬の念が没後も変わらない作者の思いが伝わってくる内容だった。2023/05/05
takao
3
評論ではなく、人格に対する誹謗中傷が多い。2022/12/24
私的読書メモ3328
1
綴られていることは、非常に主観的かつ私的なことです。それゆえに、凄まじい熱量が籠っており、圧倒されました。それにしても、寺山はつや庭瀬医師など、悪い方向に信じられないような凄さで……。2017/07/18
ぱーぷる・ばんぶー
0
寺山修司を公私共に支えた著者が出会いから寺山の死までを描いている。巷間いわれている寺山の像と実際い違うということと最後に受けた医療について言いたいことがいっぱいあったんだなあ。2022/10/26