内容説明
フランクルはあくまで科学者の立場から特定の宗教に立つことを明言しないが、人間の根源的な宗教性を深く尊重した精神科医であり、対するラピーデは明確にヤハウェなる神を信ずるユダヤ教神学者である。この二人が、人生の意味探求にとって“神”とは何か、聖書をどう読むか、悪はなぜあるか、人間とは何ものかをめぐって、真摯な対話を行う。
目次
対話(宗教的次元と非宗教的次元;ユダヤ的思考;対立の一致;無神論;逆説 ほか)
訳注
著者等紹介
芝田豊彦[シバタトヨヒコ]
1952年生まれ。京都大学理学部卒業。関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現在、関西大学文学部教授。博士(文学)。フェローシップ・ディコンリー福音教団東鳴尾ルーテル教会会員
広岡義之[ヒロオカヨシユキ]
1958年生まれ。関西学院大学大学院文学研究科博士課程(教育学専攻)単位取得満期退学。現在、神戸親和女子大学発達教育学部児童教育学科教授。博士(教育学)。日本基督教団神戸平安教会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ジョンノレン
53
アウシュビッツ生還の心理学者V.フランクル(以下F)とユダヤ教神学者P.ラピーデ(以下L)の対談。冒頭L氏がマルティン・ブーバーの「私は読者を窓の所に導き、広く目を開かせて世界を示す」を紹介すると、F氏はF.ペルススの「実際は窓辺ではなく鏡の前で、全世界は絶対主観性以外の何ものでもない」との見解を対峙させた上で、自説を開陳する辺りで早くも目が眩む。そもそも論を宗教オンチの私のレベルまで掘り下げて分解していくF氏のスタンスがありがたい。とても一読では理解できないことも多々あり、また読み返したい。2024/09/18
ネギっ子gen
50
【信仰と学問は同じ真理探究の二つの道】ナチ強制収容所を生き延びてロゴセラピーを創始した精神科医と、ユダヤ教の立場に立つ神学者が、神の探求と意味への問いについて実存的対話を行った書。巻末に訳者解説。「はじめに」で、<真理への意志が、見知らぬ者に対する自己批判的な開かれた態度であることが明らかになり、真の寛容が、みずからの知の限界についての洞察と、不意に与えられる霊感への畏敬の念から生まれるということです。そのような霊感は、天上からの一条の光線のように、しばしば古い問いを新たに照らしてくれます>と――。⇒2024/06/30
テツ
19
ホロコーストで家族は死に絶え自身だけが生き延びたフランクルが語る人生の意味と神の存在。痛みと苦しみに満ち満ちた生。それを耐え忍び生き抜いたとしてもその先には約束された逃れられない死という終焉が存在している我々存在者の生。自らが感じる空虚さや苦しみとは離れたところで人は独り歩まなければならない運命がありそこに至るための遥かな旅がある。神は我々に与えられたこの苦しみを許している。その意味とそれを踏まえて生きる意義を考えること。フランクルのような過酷な生から導かれた運命でなくても、一人一人にきっとそれはある。2021/06/13
ケニオミ
14
久しぶりに読んだ読みごたえのある本です。「夜と霧」の作者であり、ロゴセラピーの提唱者であるフランクル氏と、宗教哲学者であり、神学者でもあるラピーデ氏。二人のユダヤ人の知の巨頭が信仰について語ります。経験に裏付けられた知性の奥深さを十二分に堪能することができました。キリスト教に比べ頑ななイメージのあるユダヤ教が、実は懐の深い宗教であることを知ったのは収穫でした。タルムードの次の標語が心に響きました。「行動せよ、全てがお前にかかっているかのように、そして祈れ、全てが神にかかっているかのように」必読書です。2015/01/26
きのたん
10
途中で、対談相手の「対話はお互いを変える。対話に入った時とは違ったものとなって対話を終える。相手の一部をもらったから」という言葉が気に入って、本を置いて考え始めてしまったので、いつまで経っても読み終わらない。「意味は希望の双子の兄で、希望は今日という3次元に将来という新たな次元を加える。」ますます気になる。アブラハムが息子をどうしたとかいう箇所が、キリスト教を知らないので何のことかよくわからないが、何かすごく重要なことを言ってる気がする。2020/07/31
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