内容説明
邪馬台国で卑弥呼が共立された二世紀末から、ヤマト王権の景行天皇・仲哀天皇による九州侵攻が行なわれた四世紀半ばまで、北部九州にはヤマト王権とは別の王権が存在した。本書では、これを「九州王権」として、その成立から滅亡までを追う。九州王権はいかなる統治機構を持ち、外交を展開したのか。その祭祀や神話とは。その後の歴史にどのような影響をもたらしたのか―。邪馬台国の比定地を含め、史料から読み解いていく。「謎の四世紀」と言われる、日本史の空白地図を埋める貴重なピース、それが九州王権である。
目次
はじめに―九州に存在した王権
第1章 邪馬台国と連合国家
第2章 九州王権の誕生
第3章 統治機構
第4章 対外関係
第5章 祭祀と神話
第6章 ヤマト王権の侵攻と九州王権の滅亡
第7章 その後の九州勢力
著者等紹介
若井敏明[ワカイトシアキ]
日本史学者。1958年、奈良県生まれ。1981年、大阪大学文学部国史学科卒業。1987年、関西大学大学院博士後期課程単位取得退学。1998年、「古代国家と僧尼」で博士(文学)。専門は日本古代史。現在、関西大学・佛教大学・神戸市外国語大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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へくとぱすかる
68
かつて話題をよんだ九州「王朝」ではなく、「王権」とする説。古代史は推測が増えるのもやむを得ないが、断定してしまわない点は好評価。福岡と奈良に、共通の地名が相対的な位置関係をともなって存在する謎は、大和から九州なのか、その逆か迷うところだが、大和からとすれば、九州に定着する理由に乏しいが、九州からとすれば、その後大和で政権が定着していくのだから、九州での祭祀の伝統をともなって伝わったものとみるのがやはり自然であろうと感じる。「王朝」説では九州を政権的にも源郷とみていたが、本書は独立のものとみる。果たして?2021/05/09
みこ
24
邪馬台国九州説に基づく古代日本の成り立ちの謎に迫る一冊。従来節にありがちな邪馬台国が大和朝廷に移行したのではなく、大和勢力に滅ぼされたという視点で持論展開。この手の本にありがちな筆者の持論を押し付ける雰囲気はなく最後まで気軽に読める。高千穂を出発した神武天皇が神功皇后の代になって九州に攻め入るのも不自然だからなおのこと本書には説得力があった。2021/05/04
うつしみ
14
弥生時代後期、九州は小王権が多数集まる場所であり、壱岐ー対馬を通じ盛んに朝鮮半島と交流していた。倭国大乱の後、筆者は有明海周辺の諸王権は女王卑弥呼を擁立し和したとし、邪馬台国九州説をとる。景行天皇期、大和王権は宇佐から碩田に入り襲→熊→火→阿蘇と攻略するも、邪馬台国の後継・山門の勢力に敗れたようだ。成務期は朝廷の国造と九州王権とが併存する状況となる。仲哀天皇が再度北部九州に侵攻し伊都国奴国を恭順させるも、羽白熊鷲率いる有明勢に討たれる。後継の神功皇后が熊鷲を討ち、その地を夜須(安)と名付け九州を平定した。2024/11/28
fseigojp
10
神武東征は、高地性集落の変遷からうかがえるが、土器の裏付けがない 不思議2022/03/23
hyena_no_papa
7
「邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争 」を読んで著者の邪馬台国九州説は一読の価値があると思った。「はじめに」で古田説との立場の違いを明言している。4c後半まで九州に「王権」があったという仮定を置き、『魏志』『日本書紀』或いは朝鮮史料も用いて、その仮定に肉付けしてゆく。倭の五王以降の「倭」はヤマトの王権であるという立場だ。冒険主義的でない姿勢を評価したい。2000年の我が国の歴史の中で「九州王権」の衰盛を論じる〝九州通史〟なる概念を設定するとすれば、該説はその古代部分に置く資格はあると思う。2021/04/30