祥伝社新書<br> 親鸞と道元

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親鸞と道元

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  • サイズ 新書判/ページ数 350p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784396115548
  • NDC分類 188.72
  • Cコード C0295

出版社内容情報

親鸞と道元

五木寛之[イツキヒロユキ]
著・文・その他

立松和平[タテマツワヘイ]
著・文・その他

内容説明

『親鸞と道元』の内容は、長い長い立松和平さんとの縁のなかから、自然に浮かびあがってきた主題である。この一冊のなかでふれているように、親鸞と道元の立場は大きくちがう。それにもかかわらず、宗教の根本精神において両者は火花を散らせてスパークする一瞬がある。それは究極の救いと悟りを、人間と宇宙の深い闇を照らす光として直感している点である。親鸞は「無碍光」という。道元は「一顆明珠」という。両者はそこに全宇宙と自己とが無限の光にみたされる瞬間を思い描くのだ。この連続対談は、エンドレスな語りを想定してはじまり、立松和平さんの死とともに終った。

目次

第1章 私の道元、私の親鸞
第2章 戒律を守った道元、破戒した親鸞
第3章 「宿業」とは何か
第4章 親鸞と道元は、何が新しかったのか
第5章 言葉に置き換えられない真実の教え
第6章 なぜ、いま『歎異抄』なのか
第7章 宗教は何かの役に立つのか
第8章 現代における道元と親鸞

著者等紹介

五木寛之[イツキヒロユキ]
1932年、福岡県生まれ。ピョンヤンで終戦を体験し、47年に引揚げ。早稲田大学中退後、多くの職に就いた後に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞、『青春の門 筑豊編』他で吉川栄治文学賞を受賞

立松和平[タテマツワヘイ]
1947年、栃木県生まれ。早稲田大学政経学部卒。インド放浪、市役所勤務などを経て、作家活動に専念。『遠雷』で野間文芸新人賞、『毒―異聞・田中正造』で毎日出版文化賞、『道元禅師』で泉鏡花文学賞を受賞。2008年には親鸞賞を受賞している。2010年、急逝(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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z1000r

7
対談形式で読みやすい。立松和平の本は読んだことが無いが、親鸞と道元の違い、共通点などを二人の知識で語り合う。立松和平の言った、仏教は因果を変える宗教でもあるという言葉は響いた。自分の知識が増えた時にまた読み直したい。2022/08/23

ぐんまくん。

3
対談形式なので、読みやすい。この2人について多くのことを知らなかったので、とても面白かった。ただ体系的に何かを得たというものはあまりない。五木氏の、親鸞は死後に浄土するという考えはしなかったと思う、という考察が興味深かった。確かに、だからこそ浄土真宗は民衆に広まっていたのかな、と思う。2024/10/14

Go Extreme

3
私の道元、私の親鸞: 命のデフレ・魂の教皇 なぜ教団を組織しなかったか 比叡山を下りた理由 戒律を守った道元、破戒した親鸞: 日本化した仏教の存在意義 極端な粗食 死生観 宿業: 地獄は現世にある 個人の救済 地獄は一定すみかぞかし 何が新しかったのか: 隠遁者にあらねば名僧にあらず 悉皆成仏 在家に徹した親鸞・出家主義の道元 言葉に置き換えられない真実の教え 宗教は何かの役に立つのか: 風が吹いてくるような感覚 阿弥陀仏ー隈なく照らす月の光 現代における道元と親鸞: 衆善奉行・諸悪莫作 立松和平追想2024/09/15

nobinobi

3
人は、善人、悪人とかということでなくて、その状況に置かれたときに、どちらにでも動く不確定な存在、という文章が心に残った。一つの事象とっても、両者の解釈が異なることなんてザラにある。その時に、自身の考えが絶対に正しいのだということで、相手のいうことに耳を貸さないのか、それとも立場によって解釈が異なるという前提にたって、耳を傾けるのかでは全然違ってくるだろう。2019/01/04

山陰 柴

1
立松和平氏は2010/2に亡くなられた。2009/3から対談が始まり彼の死により終了した。彼ほどわかりやすく文章も語り口も理解できた作家はなかった。ハックルベリーとおばあさんの会話で天国の話は面白かった。「そんなところにはいきたくないや」と。二人の作家がわかりやすく説いた浄土とは「今を一生懸命生きること」「現世が浄土」。立松氏は「道元禅師」を五木氏は「親鸞」の長編小説を書いている。二人の作家の研究も深くて興味深い。まだまだ対話が続いているのではなかろうか。2021/09/30

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