内容説明
四世紀末から七世紀後半にかけて、大陸・朝鮮半島から日本列島に移住した渡来人。その有力集団は「ウヂ」を名乗り、大和政権に奉仕した。大和政権は最先端の技術・知識・文化を有した彼らを積極的に登用、やがて律令国家が形成された。渡来氏族はまさに古代国家形成の立役者であったが、その功績はもちろん、存在すら明らかでないものも多い。彼らが出自や移住の経緯を改め、さらに政治の表舞台に上がることが少なかったからだ。東漢氏、西漢氏、秦氏、西文氏、難波吉士氏など、氏族ごとに職掌から盛衰までを追い、謎に包まれた実像に迫る。
目次
序章 渡来氏族とは何か
第1章 東漢氏
第2章 西漢氏
第3章 秦氏
第4章 西文氏とフミヒト系氏族
第5章 難波吉士氏
終章 その後の渡来氏族
著者等紹介
加藤謙吉[カトウケンキチ]
歴史学者、博士(文学)。1948年、三重県生まれ。1970年、早稲田大学第一文学部史学科卒業。1976年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。共立女子第二中学校・高等学校教諭、早稲田大学講師を経て、現在、成城大学・中央大学講師。専門は日本古代史、特に氏族研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きいち
34
東漢氏、西漢氏、秦氏、西文氏、難波吉士氏、とにかく知らないことばかりで楽しい。◇古代の「氏族」と「姓」は、その後の「家」や「名字」と違う。カバネが変わるのは朝廷から与えられるのだからともかく、氏族の移籍や出自の変更って…。必ずしも血縁的なつながりではなく、地縁や得意なこと、環境上与えられた役割から、集団が氏族として構成されていったこと、その性格を、限られた一次史料から浮き彫りにしていく。古墳時代から平安初期まで、この時代を一国だけでは考えられない、そして、朝鮮半島と一体で考えるには渡来氏族は必須の存在だ。2017/10/01
はるわか
14
高句麗が南下し楽浪・帯方郡を滅ぼした4世紀以降、朝鮮半島では百済、新羅が興り、伽耶(加羅)を含め、長期に渡り諸国間の利害関係(連携・対立・抗争)が錯綜。6世紀の伽耶、7世紀の高句麗、百済の滅亡に連動する形で約300年間朝鮮半島から多数の人々が日本列島に移住。多様な生産技術・学識・文化をもたらした渡来人は、古代国家の形成期、擬制的氏族(ウジ)として王権に奉仕した。【東漢(やまとのあや)氏】坂上田村麻呂。飛鳥(檜前・今来)。軍事力で台頭。大伴氏、次いで蘇我氏に接近。2020/02/18
とし
11
渡来系古代氏族についての概説本。秦氏について知りたかったので勉強になったけど、まあ難しい。古代はそもそも固有名詞の漢字の訓みが普通じゃないから、初心者には非常に難解な本だと思う。「東漢」をヤマトノアヤと訓み、「西文」をカワチノフミと訓むとか、知らなきゃまず不可能だし、知っててもいちいち脳内変換するのが面倒で、とにかく読みにくかった。内容は面白いんだけどな~。特殊な訓みに慣れるまでは大変。2017/09/17
新父帰る
7
「新撰姓氏録」と「日本書紀」をベースに代表的な渡来氏族と王権との関わり、外交分野での活動を紹介。ほとんどが朝鮮半島からの渡来で、約300年間でその大きなうねりは三波に分かれる。まず第一波は4世紀末から5世紀初頭、第二波は5世紀後半から6世紀初頭、第三波は7世紀後半。それ以降徐々に日本人と同化して行く。今日の日本人の血には、何らかの形で渡来人の血を受け継いでいるらしい。何故当時の先進生産技術・文化・学識を有した渡来人が日本の王権の支配下に入ったのかは一つの謎であるが、国を失った民を王権が篤く遇したのも事実。2017/07/15
スプリント
2
基礎知識が少なすぎて途中からついて行けず。秦氏くらいしかわかりませんでした・・。2017/08/05