なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学

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なぜふつうに食べられないのか―拒食と過食の文化人類学

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  • サイズ B6判/ページ数 284,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784393333365
  • NDC分類 389
  • Cコード C0036

出版社内容情報

思春期の女性はなぜ痩せたがるのか。現代における食の本質や、医療の視点では捉えきれない摂食障害の内実を解明する試み。

思春期の女性はなぜ痩せたがるのか。医療の視点では捉えきれない摂食障害の内実をエスノグラグラフィーの手法(「語り」)を援用しつつ、現代における食の本質を解明する試み。

【著者紹介】
国際医療福祉大学大学院講師(博士【文学】)。1999年早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業後、アスレチックトレーナーの資格取得を目指して渡米するが、留学先のオレゴン州立大学にて文化人類学の面白さに目覚め専攻を変更。選考変更後は、シンガポール国立精神病院摂食障害クリニックの協力を協力を得て現地の摂食障害に関する修士論文を仕上げ、2003年に同大学応用人類学修士号を取得。帰国後、早稲田大学文学研究科博士後期課程に進学し、2010年に博士号(文学)を取得。早稲田大学文化構想学部助教を経て現職。現在は主に現役の医療者に向け文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている。主な著書に'The Emergence of Body Image Disturbance in Singapore'"Dissonant Disabilities: Women with Chronic Illnesses Theorize Their Lives." M. Owen and D. Driedger. Toronto, CSPI/Women’s Press。

内容説明

医療が語り得ぬもの。質的研究の実践、食体験準拠論の試み。4年間111時間に及ぶインタビューを通し、6人の「語り」のなかに食の本質を探る。

目次

第1部 ふつうに食べられない人生(視線・応答・逃避―結城理央の場合;飲まない半生―長田奈々の場合;拡縮する自己―荻原由佳の場合;外見がすべて―田辺敬子の場合;誰が「やせ」を望むのか)
第2部 医学的視座―「摂食障害」の治し方(還元主義―「個人を見よ」という医学の教え;還元主義の検証―とりこぼされたもの;カロリー地獄―澤拓美の場合;「おいしさ」のない食事―概念による体験の抑圧;ぶれる―武藤さゆりの場合;「家族モデル」の閉じられた救済)
第3部 食体験準拠論―体験が語る食の本質(フロー―過食の「楽しさ」;反転する日常―キャベツで過食ができない理由;食の本質―私たちが食べるわけ)

著者等紹介

磯野真穂[イソノマホ]
国際医療福祉大学大学院講師(博士(文学))。文化人類学。医療人類学専攻。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業、2003年、オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了(応用人類学)。2010年、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。早稲田大学文化構想学部助教を経て現職。現在は主に現役の医療者に向け文化人類学を教える傍ら、医療現場でのフィールドワークを続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ネギっ子gen

42
第1部は、普通に食べられなくなった6名女性のインタビューから。瘦せることが現代社会において、どのような意味を持つのかを探る。第2部では、普通に食べられない人たちを「摂食障害」という枠組みで括る「医療モデル」を批判的に考察する。第3部が本書の眼目。現行の医療モデルが捉えられない「食」の体験を起点に論を展開し、過食によって得られる爽快感を、心理理論を援用しつつ解釈し、彼女たちがどのようなものを食べているのかを検討。最終章で、それまでの議論を踏まえて、なぜ普通に食べられなくなったかについての解釈を提示する。⇒2021/08/19

くさてる

22
過食と拒食。摂食障害という病を医療モデルとはまた違った観点から見つめ直した内容。なので治療とか回復の為の一冊ではありません。けれど、ここに登場するひとりひとりの歴史と言葉を読むことで、なにかが伝わってくるのは確か。そしてなによりもわたしたちが「食べる」という行為の意味を考えていくために大事な観点がこの本には詰まっていると思います。刺激的な一冊でした。2015/06/23

ころこ

12
本書を見つけたのは、食べるとは何かを考察した本に見えたからです。著者は文化人類学の研究者だそうですが、文化人類学からのアプローチを試み、患者を救おうとしています。精神分析的アプローチの歴史をよく調べていて、言及もそれなりにされています。他方、批判対象である各精神科医の奮闘を、枝葉として勝手に剪定して過少に評価しているようにみえます。あたかも、特撮ヒーローものの敵を放送時間内30分で倒せる位の強さにして倒しているというように、著者は精神分析を料理し易くするために還元主義だと言い切ります。著者の言う還元主義と2017/03/09

まいこ

10
日本では摂食障害はよく「家族モデル」のストーリーの中で語られるが、 例えばフィジーでは痩せた西欧のモデルがテレビで放送されるようになってからこの病気が社会的に認知されるようになったという。そしてまた、母子が日本ほど密着しておらず、メイドさんや祖父母が育児をしているシンガポールでは摂食障害について家族に特化した研究すらされていないという。日本には戦後からの三歳児神話や母原病等、子の問題を母親に帰する文化的な背景があって家族モデルが支持されてきた。家族モデルとは科学の衣をまとった民族モデルであると著者は言う。2015/06/17

よつば

7
受け入れてもらいたいと思う過程で、ふつうに食べられなくなった人たちについて、医学的見地だけでなく文化人類学的見地から、インタビューをもとに丁寧に紐解く。味噌汁をストローでは飲まない。そんなあたりまえの(と思われている)こと、ふつうに食べるということが、人と人との関わりの中で育まれた、愛おしいことに思えてくる。私は子どもたちに、食べること=栄養素を摂取することを強いてはいないだろうか。「食べることの本質は人と人との具体的なつながりの中に存在する」という言葉を胸に刻みたい。2015/04/19

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