出版社内容情報
神の存在証明や普遍論争がなぜ大問題になるのか。西洋と日本の言語構造の違いに着目し、アンセルムス、トマス、スコトゥス、エックハルト、オッカムら重要哲学者の思索をたどって中世哲学の主要論点を精査、我々とは全く異質な西洋思想の本質をあぶりだす。
内容説明
キリスト教文化には、「悲しみ」の居場所がない。西洋文化の基盤を築いた哲学の「雄」たち―アンセルムス、アベラール、トマス、スコトゥス、エックハルト、オッカム―の群像を通じて描く、中世哲学の栄光と終焉。日本とヨーロッパ、ふたつの文化の間で理解を阻む深い河=“ことばの違い”を架橋し、日本語で考える、日本人のためのヨーロッパ中世哲学!
目次
序説 ヨーロッパ中世哲学の研究の意義(日本人のヨーロッパ;ヨーロッパの土地と哲学研究 ほか)
第1章 神の存在と哲学(カンタベリーのアンセルムス以前;普遍論争と大学神学部の始まり ほか)
第2章 2人称の神と「わたし」(アンセルムス『プロスロギオン』のことば;信仰と理性 ほか)
第3章 中世最後の神学―神学とは何か(「神学」とアリストテレスの「学」;アリストテレス『範疇論』『命題論』がもつ論理 ほか)
著者等紹介
八木雄二[ヤギユウジ]
1952年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院哲学専攻博士課程修了。文学博士。専門はドゥンス・スコトゥスの哲学。現在、清泉女子大学非常勤講師、東京港グリーンボランティア代表。東京キリスト教神学研究所所長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KJ
1
神の論証では所謂科学的な客観性ではなく「二人称的な主観的真理」においても語られ、アウグスティヌス(ひいてはソクラテス)からの伝統が通奏低音として流れているというテーマ。思想家の言葉と筆者の見解の境目が判りづらかった気がするけれど、「ことば」の意味が通じるか確認し合いながら「客観性」を組み立てていき、食い違いがあれば訂正するという、あくまで当事者性や対話が全ての根本にあるというメッセージがよく伝わりハッとさせられた。中世哲学の捉え方を垣間見れたような。2025/10/28
takao
1
ふむ2024/10/29
暁
0
よかった




