内容説明
「稽古」とはいかなる思想か。そこに秘められた「智恵」が意味するものとは。「稽古」を知の地平に解き放ち、こころとからだと世界のありかを探る、注目の書。
目次
1 うまくゆく時、ゆかぬ時(「気にする」のか「気にしない」のか)
2 スキルとアートと脱学習(スキルとアート;「似得る」―世阿弥の知恵(1)
脱学習unlearn)
3 型と身体(からだ―生きられる身体;型の稽古―ハプニングに対応する身体を育てる;心身一如)
4 身体知と特殊な二重性(二重の見)(フローとゾーン;離見の見―世阿弥の知恵(2)
場のポテンシャルエネルギー)
5 稽古とその成就(成就と日常;修証一等)
著者等紹介
西平直[ニシヒラタダシ]
1957年生まれ。信州大学、東京都立大学、東京大学に学び、立教大学、東京大学に勤務の後、2007年より京都大学教育学研究科教授。専門は、教育人間学、死生学、哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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trazom
41
私は「お稽古」が好きだ。そんな稽古の意味を考えるユニークな一冊だとは思う。世阿弥を中心に、先人たちの言葉が引用されている…「似得る」「離見の見」「目前心後」「見所同心」「落居」。道元の「身人一如」「修証一等」も印象深い。でも、「一日休めば自分にわかり、二日休めば先生にわかり、三日休めば聴衆にわかる」という行為を続けることがどれほど神々しいことかと、書いてほしかった。白洲正子さんが、大好きな「能」を、いつも「お能」と記しておられるように、この本が「お稽古の思想」だったら、もっと温かさが感じられただろうに…。2019/08/01
キョートマン
19
一度習得したものを手放した先に本当の熟達があるらしい。自分はその領域に達している分野が一つもないので実感がわかない、、、2021/10/26
たかこ
15
茶華道のお稽古をして早30年近く…。最近になって、練習することとの違い、型を学ぶこと、体に沁みつくことがわかってきた。ずっと型を習ってきた。茶道は運動ではないけれど、型というのは素振りみたいなものだと思っていた。初心者の頃は理屈じゃない、頭で考えない、とにかく同じようにやりなさいと言われ、ただただ手が覚えるまで順番を覚えた。そうこうしているうちに、茶人である私ができあがったような気がする。「心身一如」頭だけで分かろうとするな、言葉だけで分かった気になるな、自分の全生活をかけて追及せよ。巡り合えた幸せ。2020/11/23
kuukazoo
12
大人になってから踊りを始めたが、バーやフロアなど踊る身体を作る地味な稽古の重要性が身に沁みてるのはここ10年くらいのことである。それ抜きで振付を自分の身体の言葉として体現することはできない。即興も日頃の蓄積や事前の準備が大切で全くのノープランでは空回りや不発に終わる。わたしのレベルではまだまだそう都合よく身体は動いてくれない。なので本書の内容は非常に腑に落ちた。「スキルを身に付けた上でスキルから離れてゆく時、その先にアートが生じてくる。」「大切なことは直接求めてはいけない。稽古は回り道の知恵なのである。」2021/08/06
袖崎いたる
10
これは経験調律の書。スポーツだけじゃなく、あらゆる学習行為に通じる。つまり生きることそのものへと続いている。本書ではあまり突っ込んでなかったが仏教でいう「仏性」と重ねて読むと楽しいかもしれない。2019/08/14
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