出版社内容情報
無常・無我の立場から形而上学的・超越的存在な存在を認めず、存在を生成し行為からなる縁起と実体と錯覚させる言語という原則に基づいて、『正法眼蔵』75巻本+12巻本+「?道話」など別攝5巻を新しく読み解く、画期的なシリーズ!
「仏教の思想は「無常・無我・縁起」のアイデアを核心とする、と考える筆者の立場から導出された。したがって、私が「仏法」と言う時、それは四原則に基づく思想と実践の体系を意味する。ちなみに、本書の題名において「新講」と称するのは、講読の方法を予め提示することと、上述の四原則で全体を読み切る試みが、今のところ本書以外に無いからである。」(本書「前言 読みの四原則」より)
第三巻は、修行のあり方を説く「行持」上・下と、縁起する存在の仕方を説く「恁麼」の巻を収録。
【目次】
前言 読みの四原則
一における「実体」というアイデアについて
二における「実体」の否定と「縁起」
三における行為による存在の規定
四における言語の作用について
凡例
正法眼蔵第十六 行持 上
仏祖の大道、かならず無上の行持あり
これによりて、仏仏祖祖、仏住し、仏非し、仏心し、仏成して
われを見成する行持、いまの当隠に
しかあればすなはち、一日の行持、これ諸仏の種子なり
慈父大師釈迦牟尼仏、十九歳の仏寿より、深山に行持して
第八祖摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり
如来の正法眼蔵を正伝すといへども、この頭陀を退することなし
あるいは迦葉、頭陀行持のゆえに形体憔悴せり
第十祖波栗湿縛尊者は、一生脇不至席なり
脇尊者、生年八十垂捨家染衣
この生しりがたし、生か、生にあらざるか、老か、老にあらざるか
六祖は新州の樵夫なり、有識と称しがたし
江西馬祖の、坐禅することは二十年なり
雲巌和尚と道吾と、おなじく薬山に参学して
雲居山弘覚大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、天廚送食す
百丈山大智禅師、そのかみ馬祖の侍者とありしより
鏡清和尚、住院のとき、土地神、かつて師顔をみることえず
後大?和尚いはく、我二十年在?山
趙州観音院真際大師従?和尚、とし六十一歳なりしに
趙州の、趙州に住することは、八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり
あるとき、衆にしめしていはく、?若一生不離叢林
大梅山は慶元府にあり
師の坐禅には、八寸の鉄塔一基を頂上におく
かくのごとくして年月を経歴するに、塩官の会より一僧きたりて
つひに僧に令して、師を請するに、出山せず
あるとき、馬祖、ことさら僧をつかはしてとはしむ
この因縁は、人天みなしれるところなり
五祖の法演禅師いはく
翌日に上堂して、衆にしめしていはく
演和尚、あるときしめしていはく
黄帝・堯・舜等は、俗なりといへども
しかあればすなはち、塵労中人なほかくのごとし
大白山宏智禅師正覚和尚の会に、護伽藍神いはく
しるべし、かくのごとくの事は、俗の能なり、僧の徳にあらず
いま仏祖の大道を行持せんには、大隠・小隠を論ずることなく
ただまさに、家郷あらんは家郷をはなれ、恩愛あらんは恩愛をはなれ
大慈寰中禅師いはく、説得一丈、不如行取一尺
洞山悟本大師道、説取行不得底、行取説不得底
雲居山弘覚大師、この道を七通八達するにいはく
古来の仏祖いひきたれることあり
しかあれば、一日はおもかるべきなり
しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん
すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし
仏祖も恩愛なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる



