目次
盤珪禅師の魅力
「それがし生まれついて短気にござりまして」
一切の迷いのもとは
仏心は不生にして霊明なもの
盗人の名人の話
修行は是か非か
戒を保つとは
鐘の鳴らざる先にも
不生の坐禅とは
烏の声は聞こえるか、雀の声は聞こえるか
凡夫とはだれか
明徳を求めて難行苦行―その半生(一)
仏心を覚る―その半生(二)
全ては不生の仏心で調う
盤珪禅師と公案(細川晋輔)
著者等紹介
横田南嶺[ヨコタナンレイ]
1964年、和歌山県新宮市に生まれる。大学在学中に、東京白山・龍雲院の小池心叟老師に就いて出家得度。1987年、筑波大学を卒業、京都・建仁寺の湊素堂老師のもとで修行。1991年、鎌倉・円覚寺の足立大進老師のもとで修行。1999年、円覚寺僧堂師家(現任)。2010年、臨済宗円覚寺派管長(現任)。2017年、花園大学総長(現任)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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タワン
2
とてもわかりやすく面白かった。不生禅はチベット密教の最奥のゾクチェンと同じと聞いて読んでみたが、確かに同じだ。ゾクチェンもそうだが「すでに悟ってる」ところから始めるには、大悟した師匠の導きが不可欠である。不生禅も盤珪さん亡き後は続かなかったようであるが、その後の白隠さんの公案禅の方が優れていたかというと、それはそれで公案自体が目的となり、形式化して行き詰まったようである。2025/01/20
Go Extreme
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盤珪禅師の魅力 「それがし生まれついて短気にござりまして」 一切の迷いのもとは 仏心は不生にして霊明なもの 盗人の名人の話 修行は是か非か 戒を保つとは 鐘の鳴らざる先にも 不生の坐禅とは 烏の声は聞こえるか、雀の声は聞こえるか 凡夫とはだれか 明徳を求めて難行苦行―その半生(一) 仏心を覚る―その半生(二) 全ては不生の仏心で調う 盤珪禅師と公案(細川晋輔)2021/07/27
yukioninaite
0
わが身のひいきをしなければ、という。そのとおりだ。それがなければたしかに不生の心でいられるのだが・・・・。2024/12/31