出版社内容情報
平安末から鎌倉へ,世は末法。仏の教えが滅び,虚偽・邪悪がはびこる無明長夜に,敢然と救いを説く人々がいた。法然,そして新鸞。その教えと信仰とは何か。
内容説明
最澄・空海亡き後、密教は加持祈祷主義に傾斜してしまった。一方、末法時代の到来を予感させる危機的状況下から、阿弥陀仏による衆生救済を称える思想が興隆する。法然・親鸞が模索の末たどりついた浄土門の教えと信仰を読み解く。
目次
第1章 命令型宗教と自由型宗教
第2章 最澄と空海の後継者たち
第3章 加持祈祷化した仏教
第4章 浄土門の仏教の芽生え
第5章 末法時代の到来
第6章 平安仏教における「選択」の論理
第7章 法然―浄土から来た人
第8章 法然をとりまく人々
第9章 摸索する親鸞
第10章 親鸞―仏教をつくり変えた思想家
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
きょちょ
21
著者によれば、天台宗は最澄の優秀な弟子たちが最澄ができなかったことを成し遂げ完成させるが、真言宗は空海がすでに完成させてしまったので、あとは加持祈禱を行うのみの集団になり下がったとある。 父方が真言宗の私は、あれまぁといった感じ・・・。 法然は人間的にとてもおおらかな人であったようで、弟子の親鸞は真逆の性格であったようだが、阿弥陀様の浄土を主体に考えるこの二つの宗派は今のところ私にはピンとこない。 末法の時代が、インドと中国と日本では異なるのは、おかしな話だが仕方がないことでもある。 ★★★2020/06/11