司令の桜―人と歴史の物語

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  • サイズ B6判/ページ数 217p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784390604390
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0093

内容説明

戦犯に問われた男の記憶のプリズンを描いた表題作と『一遍上人絵伝』探索をめぐる人間模様。日露戦争の裏面史に生きた美しき人びとの物語。

著者等紹介

青山淳平[アオヤマジュンペイ]
1949年山口県生まれ。本名河野健。1977年松山商科大学(現・松山大学)大学院修了。現在、愛媛県立東温高等学校教諭。著書に『人、それぞれの本懐』(社会思想社)
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出版社内容情報

それぞれの向き合い方!!
時代のデジャビュ(既視感)を形象する物語の力
戦犯に問われた男の記憶のプリズンを描いた「司令の桜」と『一遍上人絵伝』探索をめぐる人間模様
日露戦争の裏面史に生きた美しき人びとの物語。

『司令の桜』 ● 目次
「司令の桜」
「残りの坂」
「松山ロシア物語」

  あとがき
 先の大戦では戦勝国の手で四千名をこえる日本の元将兵が戦争犯罪人として裁かれ、刑死、病死、自決など合わせて一〇六八名が内外の獄舎の露と消えている。

 私がこの事実の重みを見つめるようになったのは、巣鴨遺書編纂會が編集した『世紀の遺書』を手にしてからであった。この書には巣鴨の外、中国大陸と南方諸島の戦犯刑務所で命を落とした「戦犯者」の遺書遺稿七〇一篇が集められている。私は少しずつ遺書を読み進めながら、昭和二十七年八月にスガモプリズン内で組織された編纂會の一員として、この書の編集に携わった古木秀策氏を松山の自宅に訪ね、話を伺う機会を得た。終戦からちょうど五十年が過ぎた早春の日のことである。

 本書に収めた「司令の桜」は、ヤルート島の守備隊長だった古木氏と、戦後、松山の城北で幼稚園を経営されていた藤田好秀氏に語っていただいたヤルート島時代の戦争体験をもとに、『世紀の遺書』を通して抱いた私の問題意識を小説という形を借りて問いかけた作品である。夏までの数か月、ご多用の中取材にお付き合い下さり、戦後生まれの私の、愚問に近い数々の問いかけにも懇切丁寧にお応えいただいた両氏に、改めて衷心より御礼申し上げます。

 ところで、俳句のメッカ松山で正岡子規を知らない人はいないが、その子規が「伊豫一番の豪傑」と称賛した時宗の開祖一遍のことはあまり知られていない。 鎌倉時代末期、弟子の聖戒が編集した『一遍上人絵伝』には、一遍が悟りを開いたとされる予州窪寺の閑室がきわめて写実的に描かれている。顕彰団体の一遍会ではこの「絵」をもとに閑室跡地を松山市郊外の山麓に特定した。

 不惑をこえ、一遍に興味を抱いた私はこの閑室跡地を訪れ、『絵伝』に描かれた景色と跡地が大変似通っていることに驚いた。都市化された生活の中で見失った日本人の暮らしの原風景が一遍の生きた時代の絵巻そのままに現存していたのであった。しばらくこの「聖地」に佇んでいた私は、人々の欲望を肥大化させる現代社会に抗して生きる人物を、私自身のこころの相克を見つめながら小説の世界に描くことを思い立った。「残りの坂」はそうした課題に応えようとした私のささやかな試みの小品である。

 松山ロシア人墓地研究を生涯の仕事とした作家・才神時雄の名作『松山収容所』に書き込まれたロシア人墓地の景観は、うすら寒く寂しいかぎりである。 実際に訪れてみると、才神の描写の通りでシベリア抑留体験のある作家の荒涼とした心象風景までもが見通せる気がした。しかしながら、いまは冷たく押し黙った墓石の一つひとつにも、久遠の時空の中に眠りつづけているさまざまな思いが息をひそめているにちがいなかった。

 私は耳をそばだて、林の梢を渡る風音を聞きながら、墓地に眠っているあたたかな物語を紡ぎ出そうと空に思いを泳がせた。「松山ロシア物語」は、露人墓地に贈る私のささやかなラブロマンスである。

 このような想をこめて「人と歴史の物語」と副題を付けた次第である。「司令の桜」と「松山ロシア物語」については本書に収めるに当たり、字句と表現を若干改めた。また「残りの坂」は大幅に加筆し修正した。

 執筆に際し、いつも激励のお言葉をかけて下さる作家の図子英雄氏に謝意を表します。……

 平成十三年一月      青山 淳平