遊廓跡の司法研究室―ある司法浪人の記録

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  • サイズ B6判/ページ数 249p/高さ 20X14cm
  • 商品コード 9784390603614
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報

昭和三十年頃、遊廓跡の建物を利用して発足した「司法科研究室」及び「会計科研究室」は、多くの優秀な法曹人を育て、逸材の公認会計士を生んだわけである。が、敗退に涙を飲んだ者も数知れない。その中には目的半ばにして、病のため夭逝した者もいれば、自ら命を絶った者もいる。
 司法試験から転向して、次の目的に向かって歩み出した者たちの職種も様々である。たとえば、司法書士、行政書士、不動産鑑定士、不動産業、大学教師、塾経営、サラリーマンといった具合である。
 その多くの者は、過去を振り返るとき、決まって柳仙育英センターを思い出し、「あそこで過したあの生活は、いったいなんであったのだろう」と首を傾げるのである。そしてさらにまた、「司法試験というのは、自分にとっていったいなんであったのか」と反芻する。

 柳仙育英センターの一帯は、平潟(ひらかた)と称せられ、今から187年前の文化元(1804)年頃はここに平旅籠屋が二十軒あったほか、飯盛旅籠屋が二十六軒あった。
 この平潟の飯盛旅籠屋は明治時代に入ってから遊廓となり、これが第二次世界大戦が終了するまで存続した。そして戦後は、売春防止法が施行される昭和三十二年まで、赤線地帯として賑わいをみせていたのである。
 こうした売春の歴史を深く刻んだ古い建物は、転々と人手に渡り、昭和三十年頃ある篤志家に移ってから、それを基に財団法人が設立され、柳仙育英センターとして発足したものだった。その名は、柳の並木が風で情緒豊かに揺れる風情から付けられたらしい。
 設立目的というのは、当初は、法曹をめざす若人を集めて、教育指導をすることにあった。そのため、「司法科研究室」なるものを設置して、中央大学通信教育部の卒業生を毎年、十数人募集してきたのである。
 またその後さらに、公認会計士をめざす人たちのために「会計科研究室」を発足させることになり、名称も「中央大学白門会司法会計研究所」とした。
 その後、何年かして、当初の「中央大学通信教育部の卒業生」という枠もはずされ、研究室の入室試験に合格さえすれば、だれでも入寮できるようになった。
 さらに、二松学舎大学や東洋大学の委託生の宿舎として開放することにもなり、センターの規模は年々大きくなり、一時期は寮生が三百人を超すほどになった。

内容説明

初志を貫徹して寮を去って行く者。敗退に涙をのむ者―。いくつもの青春の熱い思い。

目次

第1章 軍隊毛布の下がった研究室
第2章 黄金の香りの部屋もまた楽しい
第3章 風で飛ぶペーパー・ハム
第4章 ヒモで御座候
第5章 真夏の午後1時
第6章 聳え立つシンボルがうら哀しい
第7章 羊が3000匹
第8章 悲しき踊り子
第9章 天国と地獄
第10章 鶯の鳴く季節

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