出版社内容情報
拘置所内や他の受刑者の様子、自身の死刑執行への恐怖などを生々しく浮き彫りにする。
獄中34年半。全精力を傾注して綴った手記。「免田事件」で不法逮捕され、死刑囚初の再審で34年後に無罪となった著者が、獄の壁、法の壁に向かって書き続けた手記。
免田冤罪(えんざい)事件とは
昭和23年12月29日、熊本県人吉市で強盗殺傷事件が発生、祈祷師の白福角蔵さんとその妻が殺され、二人の子どもが重傷を負った。
警察は、免田栄さん(当時二十三歳)を逮捕、拷問によって「自白」調書をとり起訴した。免田さんは公判で「自白」を翻したものの、第一審の判決どおり、昭和26年12月25日、最高裁で死刑が確定した。その後、六次にわたる再審請求の末、再審が決定し、昭和58年7月15日、わが国初の死刑確定者に対する無罪判決が出た。
“雪冤”(せつえん)――その間、三十四年と六ヵ月の闘いであった。
まえがき――免田さんと私――潮谷総一郎
強盗殺人――この世のなかに、これほど憎むべき凶悪犯罪は他にない。その犯人は、当然のことながら厳罰によって報いられなければならない。
しかし、もし、ここにまったく身に覚えのない強盗殺人事件を押しつけられ、死刑の宣告をうけたものがあるとしたらどうであろうか。
無実――あまつさえ、そこには尊い一個の人命がかけられている。看過できない重大事というべきであろう。
死刑囚・免田栄さんは昭和二十四年第一審の第二回公判以来、終始一貫して冤罪(えんざい)を主張している。そして三十四年と六ヶ月の長い年月を経て、昭和五十八年七月十五日、完全無罪の判決で雪辱(せつじょく)を果たした。
どうしてそういうことになったのか、その過程をたどることは現代社会を生き抜くために不可欠の重要事である。他人(ひと)ごとではない。
いつ、そのよう災いが私たちにふりかかってこないとも限らない。身近な問題として受けとめるべきことである。……
免田栄獄中記/目次
まえがき――免田さんと私―― 潮谷総一郎
1.無辜の民の悲劇
2.自白に至る構造
3.むごい拷問つづく
4.人問は弱くてもろいもの
5.熊本地裁で死刑宣告
6.最高裁で死刑確定
7.死刑囚の人間模様
8.身は滅びても、守らねばならぬ真実
解説 青地晨
文字どおり一人きりの独房の中で免田さんは人吉警察の調べ室の記憶を、ことこまかに掘りおこした。この掘りおこしは、五度や十度ではないだろう。おそらく何十度、いや何百度、何千度におよんだかもしれない。そうでなければ、あそこまでくわしく掘りおこすことはできっこないだろう。刑務所で罫紙に書かれた手記は原稿用紙にすればおそらく千四、五百枚には達するだろう。その内容は重複が多いが、これを編集部が整理したものが、本書である。
この手記を書きあげるには、長い長い歳月を要したと思われる。ここには免田さんの心血がそそぎこまれている。多少の「詩と真実」がないとはいえないにしろ、免田さんはできるだけ正確な記録、嘘いつわりのない手記を心がけたにちがいない。無実の自分が、なぜ死刑囚に突き落とされたか、このことが手記をつらぬく問題意識であるからだ。