内容説明
90年から91年にかけて、東京大学医学部法医学教室の手がけた事件を取材中、DNA鑑定という言葉を聞いたのがはじまりだった。以後、DNA鑑定に関心を持ち、DNA鑑定が行われたといわれる裁判の傍聴にも出かけるようになる。東京地裁の連続幼女誘拐殺人事件、主婦バラバラ殺人事件、連続外国人売春婦殺人事件;福井地裁の強姦事件、福岡地裁の飯塚事件、浦和地裁の元ヤクザ射殺事件、そして、東京高裁の足利事件控訴審である。華々しく登場したDNA鑑定だが、科警研の“初期DNA鑑定”の問題点を真っ向から取り上げた典型例が、足利事件であり、飯塚事件だ。飯塚事件は、まだ、一審の裁判中ということもあり、今回は、足利事件を“中間報告”する。
目次
三件目の誘拐殺人
捜し出せB型の男
DNA鑑定の登場
一致したDNA型
「ごめんなさい」
全面自白の初公判
科警研室長の証言
代償性小児性愛者
無実を訴える手紙
結審後に再度否認〔ほか〕