内容説明
室町時代に中国から伝わり、日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。逃げた牛を牧人が探し求め、飼い馴らし、やがて共に姿を消す―という過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、禅の入門図として知られる。ここでは、「牛」は「真の自己」を表す。すなわち十牛図とは、迷える自己が、自分の存在価値や、人生の意味を見出す道程を描いたものなのだ。禅を学ぶ人だけでなく、生きることに苦しむすべての現代人を救う、人生の教科書。
目次
序章 いま、なぜ、「十牛図」が必要か。「十牛図」が現代に問いかけてくるもの
第1章 牛を尋ね探す(尋牛)
第2章 牛の足跡を見つける(見跡)
第3章 牛を見つける(見牛)
第4章 牛を捕まえる(得牛)
第5章 牛を飼い馴らす(牧牛)
第6章 牛に乗って家に帰る(騎牛帰家)
第7章 ひとり牧人はまどろむ(忘牛存人)
第8章 真っ白な空(人牛倶忘)
第9章 本源に還る(返本還源)
第10章 町の中に生きる(入廛垂手)
著者等紹介
横山紘一[ヨコヤマコウイツ]
1940年、福岡市生まれ。仏教学者。東京大学農学部水産学科卒業後、文学部印度哲学科へ転部、東京大学大学院印度哲学博士課程修了。東京大学文学部助手、文化庁宗務課専門職、立教大学文学部教授を経て、立教大学名誉教授、正眼短期大学副学長。大乗仏教・第二期の「唯識」思想を研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ミエル
27
「絵画としての十牛図」の解説を求めていたのだけれどちょっと違った。かなり自己啓発寄り、でも読んで良かった。牧人が己という牛を探し見つけ、大悟し他者救済に至る十枚の教えは奥が深い。他者のために生きる術を身につければ自分が救われる、エゴのようにも聞こえるが優しいエゴなら享受する価値はあるはず。ただ、実行までには相当な鍛練が必要だし道は長い。2019/07/09
出世八五郎
22
立て続けに同著者の作品を読んだせいか集中できなかった。まず第一に視覚が捕らえた木は外境に存在しないということが分からない。故に初めからつまづく。なあなあで読み進めても、すべて是を語るから要領を得ず。唯識で禅の十牛図を語ることにも懸念を抱く。____________尋牛(じんぎゅう)→見跡(けんせき)→見牛(けんぎゅう)→得牛(とくぎゅう)→牧牛(ぼくぎゅう)→騎牛帰家(きぎゅうきけ)→忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)→人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)→返本還源(へんぽんげんげん)→入鄽垂手(にってんすいしゅ)。2016/05/09
ほじゅどー
15
★★★★「十牛図」は中国北宋時代の廓庵禅師の草案による禅の入門図であり、逃げ出した牛を探し求める牧人が「牛」すなわち「真の自己」を究明する禅の修行によって高まりゆく心境を、比喩的に十段階で示したもの。「十牛図」から学ぶ三大目的は「自己究明」と「生死解決」と「他者救済」の3つ。「自己究明」は自分探し。自分とは何か?生きるとは何か?死ぬとは何か?「生死解決」は個々の人が自分の死を自ら解決すること。しかし死を恐がらないことは我々凡夫には難しい。「他者救済」は他人を救うこと。他人と共々幸せに生きること。2017/03/12
テツ
11
中国北宋時代の臨済宗の禅僧である廓庵により考案された十牛図。修証一等。探し求めているうちは探しているものは決して手に入らない。禅的な思考と思想がたった十枚の図と詩の中に凝集されている。悟りは悟りを得ることが目的なのではなく『見牛』『得牛』等を経てそれに気づき探し求める過程と『入鄽垂手 』により示されるように、それを得た後のふるまい、世界との対峙の仕方が何よりも大切なのだ。禅宗のお坊様に限らず大切な考え方だよな。目的となる到達点などない。それは決して尊く貴重な場所でもモノでもない。2023/11/11
黒猫
11
十牛図を知ったのは、京極夏彦先生の「鉄鼠の檻」を読み、そこに詳しく京極堂が説明する場面からでした。一目見ると、なんだか昔話のような気の良さそうな牛飼いが逃げた牛を追いかけていき、いきなり空白のマルがあり、最後にはニコニコした布袋さんみたいになっている図が面白おかしくて興味をひかれました。この本は禅の話を十牛図を解説することで説明しています。わかりやすくオススメです。私は今「尋牛」(十牛図の牛を探す最初の場面)あたりにいるのでしょうが、十牛図の牧人のように一歩ずつ進み牛を見つけて捕らえるとこまでは生きたい。2017/09/11