出版社内容情報
甲子園通算26回出場を果たした伝説の監督、初の自伝!
高校野球界で人気No.1(名誉)監督の書き下ろし
執筆に3年をかけた360頁の超大作!
自らをここまで客観視できる人が、いったいどれくらい居るだろうか。
「甲子園通算51勝、3回の全国制覇」という稀代の名監督。
だが、その華々しい戦績の陰で、実はクビ寸前を2度も経験している。
孤独を深めるなかで必死にノックバットを振れば、「勝利至上主義」などといわれ苦悩した。
時にヒール役、しかし、決してブレずに挑み続ける姿は唯一無二で、魅了される高校野球ファンは多かった。
前田三夫は、本来は、ユニークで楽しい人柄なのだ。
その笑顔を封印し、「鬼」に徹した日々を、生い立ちとともに振り返ってくれた。
そこには、狂気にも似た愛と情熱が迸っている!
「こんな人生、そうはない」。
二度と出ないかも知れない「野球部監督のバイブル」。
間違いなく一読に値します。
目次
まえがき
第一章 若き日の記憶 1949(昭和24)年~1986(昭和61)
・実家は半農半漁。ヤンチャな前田家三男坊
・木更津中央高校時代。指導者になり生かされた挫折経験
・帝京大へ。遠いレギュラーへの道。そして覚悟を決めた。下手でもやり続ける
・帝京高校・監督に。指導者としての第一歩を踏み出す
・無名校ゆえの挑戦。「帝京」の名を売るために自腹で中学校回り
・第50 回センバツに初出場。ついに甲子園の舞台へ
・センバツ準優勝の快挙と「とんねるず」石橋のいた時代
・またもクビ寸前。「1年以内に甲子園」を突きつけられた先に、運命の出会い
・センバツ2度目の準優勝。その裏で、試合前の誤報が調子を狂わす!?
・夏合宿で監督が消えた!? 二度と使えない奥の手で選手を鼓舞
・鍛錬の場、帝京グラウンド 道具の扱いを教え、手作りグッズで練習に工夫
第二章 帝京、全盛時代 1987(昭和62)年~1995(平成7)年
・エース芝草の覚悟と、春夏連続甲子園出場
・吉岡雄二を擁し、悲願の夏初優勝。全国の頂点に
・春夏連続甲子園出場と池田との激闘
・エース三澤で初のセンバツ制覇。春夏連覇はならず
・手を焼いたヤンチャ選手。もしヤツが本気になれたなら……
内容説明
甲子園通算51勝、3回の全国制覇という華々しい戦績の陰で、クビ寸前を2度。孤独を深める中で必死にノックバットを振れば、勝利至上主義などといわれ苦悩した。時にヒール役、しかし、決してブレずに挑み続ける姿は唯一無二の存在で、魅了される高校野球ファンは多かった。本来は、ユニークで楽しい人柄。その笑顔を封印し、「鬼」に徹した日々を生い立ちとともに振り返る―。
目次
第1章 若き日の記憶(1949(昭和24)年 実家は半農半漁。ヤンチャな前田家三男坊
1965(昭和40)年 木更津中央高校時代。指導者になり生かされた挫折経験 ほか)
第2章 帝京、全盛時代(1987(昭和62)年 エース芝草の覚悟と、春夏連続甲子園出場
1988(昭和63)年~1989(平成元)年 吉岡雄二を擁し、悲願の夏初優勝。全国の頂点に ほか)
第3章 熟考の時代。求め続けたベストな指導法(1996(平成8)年 勝ちにこだわらないのなら、何にこだわって野球をやるのか
1997(平成9)年~1998(平成10)年 自主性の流れに乗って、練習を選手に任せてみたが… ほか)
第4章 もがき続けたラスト10年(2012(平成24)年 大阪桐蔭が来た!そして、都ベスト4に終わった夏
2013(平成25)年 関東大会で常総学院にやられ、餃子の味もわからずじまい ほか)
第5章 「帝京あるある」「帝京いろいろ」(常にベストメンバー、ベストゲーム。温情の代打は出さない;わざと厳しいシーンをつくって挑ませる鬼の手腕 ほか)
著者等紹介
前田三夫[マエダミツオ]
1949年6月6日、千葉県生まれ。木更津中央(現木更津総合)高―帝京大。現役時代は三塁手。甲子園出場経験はなし。帝京大学では3年時までベンチ入りが叶わず、4年のときに一塁コーチャーに抜擢され、新人監督も務める。この年の春、チームは首都大学リーグ初優勝。卒業を前にした1972年1月、帝京高校野球部監督となる。78年第50回センバツで甲子園初出場を果たし、以降甲子園に春14、夏12回出場。うち優勝が夏2回、春1回。準優勝が春2回。2021年夏を最後に勇退し、名誉監督となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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