内容説明
大坂冬の陣のあった慶長十九年、幕府はキリシタン弾圧を始めた。外国の勢力が、やがてはこの国の主権を奪うのではないかという危惧を抱いたのである。畿内を巡って活動した京キリシタンの苦難の軌跡を辿る。
目次
前章(大仏前正面通;三法師守役橋本太兵衛;長崎二十六聖人の殉教;太兵衛の縁談;織田秀信の決断;太兵衛主家を去る;桔梗屋寿安)
後章(上京天主堂の建立;桔梗屋の南海進出;慶長八年、画期の年;メアコのハビアン;京キリシタンの人びと(上)
京キリシタンの人びと(下)
スピーノラとハビアン
西ノ京天神通
だいうす丁
太兵衛柬埔寨へ行く
所司代板倉勝重の憂鬱
大坂の陣
京都大殉教)
著者等紹介
ますこひろしげ[マスコヒロシゲ]
増子博調。1927年東京生まれ。元大学教員。退職後は翻訳・著作に専念(比較文化史・西洋美術史研究)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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田中峰和
5
70歳を超えた家康は天下支配の態勢固めに入っていたが、その障りになるのではとキリシタンの動向を気にしていた。京の武家に広がりつつある信仰により、外国の勢力が徳川幕府の権力を奪うのではないかと危惧を抱いた。徳川秀忠の指示で元和の弾圧によって信者60人が七条河原で火炙りの刑に処され、キリシタン関連のあらゆる資料を徹底的に隠滅した。その中に橋本太兵衛という商人がおり、前半生は織田信長の孫秀家の家臣であった。太兵衛は妻たえと3人の子とともに家康の疑心暗鬼から火刑に処されたのである。2023/08/22