帝国陸軍師団変遷史

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 46判/ページ数 334p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784336062796
  • NDC分類 396.21
  • Cコード C0031

出版社内容情報

明治21年から昭和20年まで170個もの師団を編成した帝国陸軍。その師団の編制の変遷と多様化、動員や編成の手法などを詳述。明治21年から昭和20年の敗戦まで戦略単位として170個もの師団を編成した帝国陸軍。その師団の編制の変遷と多様化、動員や編成の手法などを主なテーマとしながら、原則として県単位毎に徴集した壮丁で部隊を編成したことによってそれぞれの地域性が鮮明となり、それが各師団の特性となり師団の運用に影響を与えたことを豊富な史資料とともに詳述。巻末には4鎮台設置から敗戦までの師団編制表や師団配備に関する付表27点を付し、あわせて26頁にわたる明治2年の兵部省設置から昭和20年の第1復員省の発足までの師団関連略年表を付した。帝国陸軍の師団の全貌を記した1冊。

◆はじめに
◆第一章 国軍の草創期
薩摩の「近歩一」、長州の「近歩二」
特異な存在だった近衛師団
色濃く残った幕藩の気風
鎮台の拡充と西方シフト
徴兵制度と地域性
◆第二章 師団改編と連隊区制
「師団」の概念と編制の概要
連隊区制から生まれる郷土部隊
農村部の部隊と都市部の部隊
各兵科が求めた壮丁の資質
◆第三章 日清戦争と日露戦争
七個師団体制での日清戦争
常設師団十三個の根拠
熟考された五個師団の増設
日露戦争で定まった師団の評価
◆第四章 停滞した陸軍軍備
日露戦争後の軍備拡張
『帝国国防方針』の数値目標
動員制度の概要
大正の軍備整理と十七個師団体制
師管の変化と「一等師団」という存在
◆第五章 「一号軍備」と支那事変
破綻した対ソ戦備
「一号軍備」で生まれた三単位師団
想定外の大動員
民衆の海の中での戦争
◆第六章 多様化した師団の編制
「二号軍備」と「三号軍備」
関東軍の新編師団と「関特演」
南方向けの自動車編制師団
「四号軍備」と「軍容刷新計画」
治安師団と戦車師団の新編
絶対国防圏に対応する海洋編制師団
◆第七章 大陸、南方、満州の三正面作戦 
常勝支那派遣軍を支えた古豪師団
酷使され続けた精強上陸兵団
ビルマ戦線の雄、「菊」と「龍」
形にならなかった陸海軍統合作戦
郷土部隊の真価を発揮した野州兵団
健闘した集成の小笠原兵団
「対ソ静謐」関東軍の消長
◆第八章 本土決戦の兵団群
等閑視されて来た本土防衛
結末は「根こそぎ動員」
「守地即死地」の沿岸配備師団
機動打撃師団と決戦兵団
郷土部隊による本土防衛
大動員の総決算
◆おわりに
◆引用・参考文献一覧
◆付表1?27
◆帝国陸軍師団関連略年表

藤井非三四[フジイヒサシ]
著・文・その他

内容説明

明治建軍から昭和20年の敗戦まで、日本が国力を振り絞って整備した師団群の特質と編制の変遷。

目次

第1章 国軍の草創期
第2章 師団改編と連隊区制
第3章 日清戦争と日露戦争
第4章 停滞した陸軍軍備
第5章 「一号軍備」と支那事変
第6章 多様化した師団の編制
第7章 大陸、南方、満州の三正面作戦
第8章 本土決戦の兵団群

著者等紹介

藤井非三四[フジイヒサシ]
軍事史研究家。1950年、神奈川県生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了(朝鮮現代史専攻)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

nnpusnsn1945

22
師団の歴史を網羅できる。それだけでなく、東北や九州の師団がなぜ精鋭部隊であるか、逆に東京とか大阪がぱっとしない理由も書いてある。もっとも、市民にとっては「兵役懲役一文字違い」なのだが。日中戦争(本書では支那事変)が長引いた一因に、軍縮で消えた部隊が戦争開始で再編成され、張り切って撤兵したがらなくなったとの話は興味深い。大正の軍縮が、皮肉にも平和でなく泥沼の戦争を生み出したのだから。2020/11/12

六点

14
明治建軍の際、将軍家・諸大名から差し出された諸隊を元に編制された御親兵から始まり、昭和20年夏の日本の敗北に至るまで日本陸軍の戦略単位として作られた「師団」の歴史を追った、国書刊行会しか出さないだろうし、この著者でなければ書けない本である。限られた物的・人的・財政的資源を投入して作られた師団の歴史は、鉄道建設と並び近代日本の最大の事業と称しても過言ではない。敗戦で全てが終ったと言う勿れ。陸自の精強とされる師団は当時と変わらず東北と九州の師団なのだ。戦争に一度負けたくらいで、社会の構成員が変心等せぬのだ。2019/11/28

フロム

14
多少太平洋戦争をかじった事ある者なら誰しも思う疑問。明治健軍って確か10師団くらいあったよな。アレ?太平洋戦争で教科書に出てくる有名な戦場と師団の数合わなくね?後半アホほど増えていく師団のナンバリングってどうなってるんだ?素朴且つ重要な疑問が本著を読めば一発氷塊。日本軍の特色たる在郷主義な編成についても割と詳しく記述。その他トリビアも満載なので飽きずに読む事ができる。本著を追えば陸軍とってメイン大陸であり精々南方を向いてる程度で太平洋戦争は海軍の戦争であった事が良く分かる本である。2019/03/26

CTC

14
本年6月国書刊行会刊。著者は国士舘大の修士課程(朝鮮現代史)を修了しているが特別な所属はなく、市井の研究家であり、私の中では今最もホットな書き手である。さて、中長期の軍事戦略を考察するにおいて、戦力の大きさや編成、或いは発展性(増設できるのか、内容の充実は可能か)をみれば、狙いや力点、特色が見えてくる。著者は他の本にも書いているが、いちど増やしてしまった戦力や職業軍人は簡単には減らせないのだ。 国力を無視して師団増設を重ねれば、当然外征なしにはそれら自体を養えなくなる。結局は敗因に連なっていく。2018/09/22

クラムボン

9
《師団》とは一定期間、独立して作戦行動できる《戦略単位》だそうだ。歩兵連隊4個分で約1.8万人。明治4年の御親兵から昭和20年の敗戦までの編成を辿っています。日清戦争時は7個師団、日露開戦時13個師団、日米開戦時51師団、それが敗戦には169個師団。国策である「帝国国防方針」では戦時50個師団、日本の国力ではそれが精一杯だったようだ。日米開戦時に既に上限、石油の備蓄も含めて短期決戦に持ち込みたかったハズなのだが。敗戦間際には師団の運用も泥縄状態であったが、ある時点までは上手く運用されていたと思う。2021/10/30

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/12889462
  • ご注意事項

最近チェックした商品