太平洋防衛史 (復刻版)

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太平洋防衛史 (復刻版)

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  • サイズ A5判/ページ数 261p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784336059857
  • NDC分類 210.59
  • Cコード C0031

出版社内容情報

戦前、日本の政治の中枢にいた著者が、世界史的な視点をもって安政の大獄から公武合体の成立までの時代を分析したものである。

本書は、日本政治の中枢にいた仲小路彰が、世界史的な視点をもって安政の大獄から公武合体の成立までの時代を分析したものである。英米の太平洋侵略計画、ペリー、ハリスによる条約の強制、また英露による対馬占領……。尊王攘夷の決行とは、米英の世界侵略に抗する最後の一線の防衛であり、悲壮なる死守であった。

第一篇 安政の大獄
 第一章 橋本左内の捕縛
 第二章 水戸派の弾圧
 第三章 水戸派の死刑
 第四章 吉田松陰の捕縛
 第五章 志士の死
 第六章 松陰の刑死
第二篇 桜田義挙
 第一章 反井伊派の激昂
 第二章 幕府の弾圧
 第三章 勅諚返上の問題
 第四章 義挙の準備
 第五章 決行の前夜
 第六章 義挙決行
 第七章 斬奸書提出
 第八章 烈士の処置
 第九章 烈士の処刑
第三篇 近代日本海軍の創建
 第一章 海軍伝習所
 第二章 ファビュスの第二回意見書
 第三章 長崎奉行水野筑後守の海軍創立の意見書
 第四章 海軍伝習生
 第五章 海軍の訓練
第四篇 太平洋乗切
 第一章 日本軍艦の太平洋乗切の準備
 第二章 咸臨丸
 第三章 咸臨丸の渡航
 第四章 遣米使節の渡航
 第五章 使節艦の航海
 第六章 ワシントン到着
 第七章 両船の帰航
第五篇 日本開港の初期
 第一章 ロシアの東方侵略
 第二章 諸国通商条約
 第三章 横浜開港
 第四章 露使ムラヴィエフの渡来
 第五章 夷人殺害事件
 第六章 プロシャとの条約締結
 第七章 ヒュースケン暗殺事件
第六篇 英露の対馬占領計画
 第一章 ロシア軍艦の対馬占領
 第二章 イギリス軍艦の来襲
 第三章 日露談判
 第四章 東禅寺打入事件
第七篇 公武合体の運動
 第一章 時代の進展
 第二章 和宮御降嫁の御事
 第三章 幕府の奉答文
 第四章 御降嫁の御決定
 第五章 幕府の誓書
 第六章 世相の風刺

【著者紹介】
明治34年東京生まれ。旧制五校、京帝大哲学科卒。昭和12年から「世界史話大成」「世界興廃大戦史」などの大著に取り組む。戦後著書はGHQに没収され一時公職を追放される。間もなく地球主義、未来学という概念を提唱。「ロシア大革命史」「未来学原論」などの大著を刊行。山中湖村に隠棲しつつも戦後の外交に隠然たる影響を与えた。

内容説明

GHQが没収した問題の書!!ペリーによる強制条約。英露の対馬占領…。列強の太平洋侵略の恐るべき計画は進められていた。尊王攘夷の決行とは、米英の世界侵略に抗する最後の一線の防衛だった…。1858年、安政の大獄。1862年、公武合体の成立。この間の出来事に隠された世界史的な意味を解き明かす。

目次

第1篇 安政の大獄
第2篇 櫻田義擧
第3篇 近代日本海軍の創建
第4篇 太平洋乘切
第5篇 日本開港の初期
第6篇 英露の對馬占領計畫
第7篇 公武合體の運動

著者等紹介

仲小路彰[ナカショウジアキラ]
明治34年(1901)東京生まれ。父、廉(第3次桂・寺内国内閣の農商務大臣)の次男。大正6年(1917)第五高等学校入学、大正13年、東京帝国大学文学部哲学科卒。大正11年(1922)東京帝大在学中に、長編戯曲「砂漠の光」を新光社より刊行。昭和16年(1941)(財)日本世界文化復興会(終戦後、文化建設会と改称)を設立。昭和19年(1944)山梨県山中湖村に疎開。昭和20年(1945)「我等斯ク信ズ」を執筆、配布。陸海軍に「承詔必謹」を説き、米ソ冷戦時代を予告し戦後復興の方向を示す。昭和21年(1946)渋沢敬三・川添浩史等と(財)文化建設会の地球文化研究所設立。昭和59年(1984)9月1日、半生を過ごした山中湖村で死去。享年83歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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