感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
259
ボルヘスがイタリア文学から選んだのがパピーニ。エリアーデやヘンリー・ミラー等からも高い評価を受けているが、日本ではあまり知られているとは言い難い。ここには表題作を含めて10の短篇が収録されているが、いずれも小説の持つドラマ性にはきわめて乏しいという共通項を持っている。登場する人物同士の間に葛藤が働かず、したがって人物相互の関係がプロットを形作るという方法をとらないのだ。こうしたところから、ボルヘスの「この作家が度し難いほど徹底的に詩人だった」という評が生まれてくる。あくまでも「孤独な幻視者」なのである。2013/03/30
燃えつきた棒
47
ついに、荻原魚雷先生ご執心のパピーニである。やや、興奮した面持ちでページを繰るものの、なかなかあたりが来ない。ほぼ、諦めかけていた時、「きみは誰なのか?」に出会う。 確かに、魂の極北を描ききっている。 何と言っても、やはり、表題作「逃げてゆく鏡」が素晴らしい! パピーニの暗さには、 病みつきになる。全部読んでみたい。2019/07/17
らぱん
46
ボルヘスが編んだ「バベルの図書館」の最終巻は本国イタリアで忘れられたジョヴァンニ・パピーニの自己や自我についての10の短編集で、誰かの悪い夢を覗いているような気持ちになった。過去の自分に出会った男、自分の過去の全てが綴られている本を朗読された男、自分は誰かの夢に見られている存在だと語る男・・・幻想譚として詩的に昇華されている側面はあるが、自己否定感の極めて強い自我を持て余す人物のハマるパラノイアは暗く重い。自分を殺すことでそこから抜け出すことができるだろうか。それは多分おそらく・・・。↓2019/08/08
内島菫
31
人は自分というものの中に、デフォルトで分身を持っている。それらが奏でる十の不協和音が、本書におさめられた十の短篇である。これらの物語で主人公たちは、実に執拗に自分を殺し、自分を生かそうとする。「泉水のなかの二つの顔」と「完全に馬鹿げた物語」は、一方は時間的に一方は空間的にずれた自分の分身と出会い、いずれも分身を抹殺するがそれは同時に自殺行為でもあるため、残された片割れは生きているとはいえなくなる。2018/08/28
藤月はな(灯れ松明の火)
30
自己認識の際の客我と自我の関係性を説いたような作品。過去の自分があるからこそ、今の自分はいる。しかし、過去の自分を殺すことは実は緩やかな自己の自殺行為になるというアンヴィバレンツと殺したことによる虚無。「君は誰なのか」は大衆での個人の匿名性と誰にも個人として特定されないという恐怖がひたひたと迫ってくる。ポーの「群衆」やカフカを想起させるような不安感を感じさせる。誰も信じられず、孤独と絶望で追い詰められた情緒不安定時に読まなくて本当によかったと心から思わずにいられなかったですーー;2012/12/09